幻鉄RAMBLER

~ 未成線・海外鉄道・廃線跡のリポート ~

【未成線】大別府ケーブル鉄道を歩く(大分)

~ 湯の街・別府の南西部、知られざるケーブル計画 ~

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九州が誇る温泉の街、大分県別府市

ここには歴史上、少なくとも4つのケーブルカーが計画されてきた。

うち1つは、ラクテンチケーブルとして実現し、現在も運行されている。

 

これまで計画されてきたこの4つのケーブル計画の中で、今回は特に殆ど知られていないと思われるものを紹介する。大別府ケーブル鉄道である。

 

★ 概要と歴史 ★

この路線は、別府市南西部の、朝見地区から小鹿山付近に至るルートで計画されたもの。

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(※上図は計画線の場所を大まかに示したものであり、実際の線形とは異なる。)

 

-路線データ-

●種別:鋼索鉄道(ケーブルカー)
軌間1067㎜(原資料の「三尺六寸」=3ft6in)
●距離:約2.2㎞(1マイル 37チェーン)
●駅数:
 ◎山麓朝見駅
 ◎山頂:小鹿山駅
●需要予測:27万100人/年

 

上記の距離データが示している通り、その路線距離は長大なもので、京都にかつて存在し東洋一と謳われた、愛宕山ケーブル(2.0km)をも上回るものであった。

 

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なお、同じ別府にはかつて、名称が非常によく似た別府ケーブル鉄道という計画が存在していたが、こちらは別府市大分郡八幡村(位置的に高崎山と思われる)の1.6kmに計画され、敷設免許も取得(大正15〈1926〉年~昭和3〈1928〉年)していたもので、当ケーブル計画とは全く別のものである。

 

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また、このケーブル計画は、単に麓から山に登って終わりというわけではなく、小鹿山の近隣に位置する、志高湖一帯のリゾート開発とセットになって目論まれていた。

当時の文書に記されていた、開発計画を列挙していくと、

外国人用ホテル
ゴルフ場
文化住宅
湖畔別荘
キャンプ場
競技用諸設備
一大遊覧所(遊園地か?)

このように幾つもの施設が造られるとされており、これだけ見ればかなり大々的なリゾート計画が目論まれていたことが分かる。

つまり、このケーブル計画の真の狙いは、別府の奥地に位置する志高湖一帯をリゾートとして観光地化し、そのために別府の街から志高湖までのアクセスの便を確保しよう、というものだったことになる。

 

-略史-

昭和2(1927)年:敷設免許を出願
計画自体はこの年から本格的にスタートしているのだが、後に監督の鉄道省に対し書類の再提出を行っているようで、そのためか省での受け付けは昭和6(1931)年となっている。

また同時期には、ほぼ同一ルートでの競願路線を申請する者が現れたそうだが、そちらは書類の不備により取り下げとなっている。

昭和6(1931)年:出願が却下される
その理由として文書には「目下のところその必要なしと認められるため」とだけ書かれている。

文書の最初の方には、成功の見込みあり、といった趣旨が記されていたにも関わらず、不要不急扱いとなり、理由も普通は具体例を挙げたりして、論理的に説明されるものが、この路線の場合は単に「不必要」とだけされている点は、随分と素気ない突き放され方をしているような印象を受ける。

 

こうして、この会社によるリゾート計画と一体になったケーブル計画は、ここで幻に終わってしまったのである。

 

未成線を歩く ★

(※今回も関西から別府まで足を運ぶのは、遠方で難しかったため、現地状況はGoogleマップ等で代用する。)

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( ↑ ※原資料に加筆して作成。下が北上が南である。)

 

朝見駅が予定されていた場所。中央の別府発電所の裏側辺りがおおよその駅位置。発電所からパイプラインがかなりの急勾配で登っているが、ケーブルはその左横をもう少し緩やかな勾配で登る予定だったはずである。

 

小鹿山駅が出来る予定だった場所を、現在の地図の航空写真で示すとこの辺りになる。右上が朝見方面。この近くには神楽女湖や自然の家おじか があるが、ケーブルが出来てリゾート開発がされていたら、また違った様子になっていたかもしれない。

 

********************

 

戦前のこの志高湖開発プロジェクトは幻に終わってしまったものの、戦後、ラクテンチなどの手によって、志高湖近くに新たな遊園地「志高ユートピア」が造られ、ケーブル→リフト→ロープウェイ…と乗り継いで、別府の麓から志高湖まで行けるようになり、志高一帯の観光開発は一度実現している。

だが、これも平成10(1998)年までに、リフト・ロープウェイ・志高ユートピアの3つが廃業となっている。

 

志高湖のリゾート開発と共に、事実上 新たな東洋一のケーブルを目指すも、不要という理由だけで夢破れてしまった、大別府ケーブル鉄道。

しかし、仮に実現していたとしても、後の大戦により不要不急線として撤去されていたかもしれないし、あるいは戦後になっても、上記のロープウェイやリフトと同じような運命を辿っていたかもしれない。

実現していれば面白かっただろうとは当然思えてくるが、かといって事業が本当に成功し得たのかは、少々微妙なものがある。

 

★ 参考文献 ★

鉄道省文書『大別府ケーブル鉄道敷設願却下ノ件』(昭和6〈1931〉年、国立公文書館蔵)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F0000000000000047446&ID=M0000000000000385183&TYPE=&NO=

(※記事中の原資料は全てこの文書より引用。)

森口誠之『鉄道未成線を歩く 私鉄編』(JTB出版事業局、2001年)

Wikipediaラクテンチ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%81#.E6.B2.BF.E9.9D.A9

 

その他ウェブサイト、書籍等若干

【未成線】別府遊覧電気軌道を歩く(大分)

~ 別府の2大地区、市中心部と鉄輪温泉を結ぶ電車計画 ~

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日本有数の温泉の街、大分県別府市

その中でも別府駅周辺の中心市街地と、2番目に賑やかな鉄輪(かんなわ)地区は、別府の街や温泉観光の基軸を成している。

 

この別府、海側(東側)には鉄道が通っているものの、山側(西側)には、鉄輪地区も含め、歴史上一度も鉄道が通ったことがない。

しかし、かつてそこに鉄道を通す計画は存在した。その代表的なものの一つが、今回紹介する、別府遊覧電気軌道である。

 

★ 概要 ★

別府遊覧電気軌道――この計画は、大正13(1924)年 ~ 昭和10(1935)年頃に存在していた。(※前者は軌道敷設特許出願年、後者は特許失効後の会社解散年。)

 

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(※参考のため昭和47(1972)年まで走っていた別大電車の経路も掲載。但し最盛期のルートと当電車計画当時の開業区間は異なる。)

戦前まで別府一の繁華街だった流川通を起点とし、そこから鶴見地獄方面に向かって急勾配を登り、鉄道網の行き届いていなかった別府の西側エリア(山の手)を縦断し、鉄輪に至る、というのが主なルートである。

 

実際この電車計画、元々はこのルートのみならず、当時の別府港~流川7丁目までの区間(上図左下の赤い破線部分)と、鉄輪~亀川間(上図の鉄輪から先の破線)も含めたもので、現在の別府市域の西側を半周する計画だった。そのうち前者は、流川7丁目~8丁目の間にある日豊本線の踏切の所で、線路を分断することになっていた(詳細は後述)。

だが後に、この2区間の工事施工申請は見送られている。

 

今回は、工施申請が行われ、計画が具体化し、豊富な資料が残されている、流川通八丁目~鉄輪間の区間についてピックアップすることとした。

 

なお、本記事図中の停留場の位置については、一部停留場において元の図面が不鮮明だったため、当時の鉄道省文書の他のページに記されている、起点からの距離データを基に、計測して割り出したものもある。

 

- 路線データ -

●距離
 ◎特許区間総計:10.6km
 ◎工事施工申請区間約6.04km

●車両
 ◎両数:10
 ◎足回り:単車
 ◎定員:40人
 ◎出力:40馬力
 ◎その他仕様:空制付き

軌間1067mm

●動力:電気(直流600V)

●線数:全線単線

●停留場数:11(起終点含む、工施申請区間のみ)

●備考
 ◎併用軌道:3ヶ所
 ◎専用軌道:2ヶ所
 (工施申請区間のみ)

 

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さて、この未成線の特徴として特筆出来るのは、図面を中心として、当時の詳細な資料が豊富に残されているという点である。

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ルートの平面図や縦断面図のみならず、多いのは、軌道設備の細部にまで渡る、幾つもの設計図。

路盤、軌道、レール、橋脚橋台、電気設備…… その種類を挙げれば、枚挙にいとまがない。

 

通常、このような詳細な図面は、鉄道省文書の場合、戦前に鉄道省が簿冊として整理した際に、添付の図面や地図などが大量に処分された経緯もあり(森口誠之『鉄道未成線を歩く 私鉄編』2001年、p.173)、ここまで細かで豊富なものは現存していないケースが多いようである。

そのような中で、大都市圏ではない一地方の鉄道計画において、ここまで豊かな資料が幾多にも渡って残されている点では、この鉄道計画における資料の残存状態は極めて良好であると言えよう。

 

これだけ数多くの図面が残されていると、ルートのみならず、軌道各所の細かな設計も明らかになり、幻に終わった当時の電車路線像が、鮮明に甦ってくる。

 

本記事においては、そのような詳細な路線像は、後述の「未成線を歩く」の項で、停留場・区間などの部分ごとに、詳しく紹介・解説している。

また、「参考文献」の項に貼ったリンクより、原資料を閲覧することが出来るため、本記事に掲載していない分の図面についても、そこから閲覧していただくことが出来る(各種図面は主に巻末寄りに集中している)。

 

★ 歴史 ★

大正13(1924)年広島ガス電軌が軌道敷設特許を出願

大正15(1926)年特許が下付される

昭和2(1927)年特許を別府遊覧電気軌道に譲渡

元々この計画の原型をつくったのは「広島ガス電軌」(原表記:廣島瓦斯電軌)と呼ばれる会社で、最初にこの会社が敷設特許を取得し、のちに新会社である「別府遊覧電気軌道」に特許権を譲渡している。但し、両社とも社長は同じだったようである。

昭和3(1928)年流川通八丁目~鉄輪間の工事施工を申請

●同年:以下区間の工事施工の延期を申請

 ◎流川1丁目(旧別府港)~ 7丁目

 鉄輪~亀川

昭和6・7・8(1931・32・33)年工施認可申請の延期を申請

特許権が新会社に譲渡されて以降、工施認可申請の延期そのものの総回数をカウントすると、およそ6回にも上るようだ。主な理由としては、地主との利害調整や電力供給契約の難航、急峻な地形による設計変更の必要性、地元の協力が得られなかった、などがあるという。

(※紛らわしいようで恐縮だが、国に対しては『この区間の工事を行う予定』という報告こそしているものの、実際に工事を行うための認可を貰うプロセスを、一度も踏まず先延ばしを繰り返している、という趣旨の説明である。)

昭和9(1934)年敷設特許の取消・失効

上記のように何度も工施認可申請延期を繰り返したがために、国からもついに「誠実さが感じられない」と愛想を尽かされ、とうとうここで敷設計画をストップさせられてしまった。

昭和10(1935)年会社が解散

 

未成線を歩く ★

当時の文書内には、各停留場一つ一つの概略を記した、詳細な図面が残されている。

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この図も参照しながら、当時のルートを現地の様子と共に辿ってみよう。

 

※現在関西在住で別府までなかなか足を運びにくいため、現地状況はストリートビュー埋め込みで代用した。

 

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※[停]=停留場

 

流川通八丁目[停]

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当路線の(事実上の)起点。右が鉄輪方面。

停留場部分は2線で、左は行止り式を想定していたようだ。終端部の先には、当時地上を走っていた日豊本線の踏切があった。

 

この先東方面(図の左)、工施延期が申請された、流川通一丁目方面まで延びる区間は、ここからそのまま線路を延ばせば日豊本線との交差で問題が生じるため、ここで一旦線路を切り、日豊本線の踏切を渡ってもらい、踏切の向こうから別線として分離した区間に再び乗り換えてもらう、という方式が考えられていた。

 

現在の同地点の様子。正面が鉄輪方面、この反対側で日豊本線が交差している。

日豊本線も現在は高架となったため、流川通とも立体交差となっている。

 

別府公園前[停]

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単線のシンプルな停留場。左が流川通八丁目方面、右が鉄輪方面(以下同)。

現在の町の状況からすれば、別府公園からは随分離れた場所に位置するが、昭和14(1939)年の航空写真を(国土地理院の空中写真閲覧サービスで)見てみると、別府公園は当時この辺りまで範囲が広がっていたようである。

 

【ア・イ・ウ・エ】別府公園前[停]~研究所前[停]間のカーブ

かつて電車が通る予定だった道路の、【ア】~【エ】の場所には、下の写真のようなカーブ(細い赤線で囲った道路)が存在している。

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何も知らなくても、いかにも電車を通しやすそうに見える、緩やかなカーブ…

しかもそれらは全て、かつての電車計画が向かう予定だった方向に向かってカーブしている……

 

道路に電車計画を引いたのだから、路線計画の形と一致しているのは当たり前ではないか、とも思えるかもしれないし、実際該当道路は全て、県道52号別府庄内線、通称「地獄循環道路」に当たっている。

 

しかし、路線計画の図面と照らし合わせて、上記のようなこのカーブの具合を考えてみると、どうも、単なる偶然とも、道路が先→電車計画が後、とも思えない。

 

そのようなわけで、実際に、この道路形状と電車計画の関連性を少し調べてみた。

 

文書内を調べてみると、やはり該当する記述があった。

それによると、昭和7~8(1932~33)年頃、計画線沿線で当時計画されていた、都市計画と路線計画との兼ね合いについて、最初の頃は、併用軌道を通す都市計画道路の整備と、電車路線の整備は同時に行う方が良いとの記述があり、後に諸事情により、これを同時に着工・整備するのではなく、道路を先に整備した上で、後から電車の整備を行う方が良いだろう、との方針に変わっている。

また、この記述がある一連の部分の中ほどに、以下のような「(路線計画の)都市計画街●との異条図面」と銘打たれた図面も封入されている。

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すなわち、昭和8(1933)年の時点では、【ア】~【エ】のカーブを含む道路というのはまだ出来上がっておらず、なおかつ道路と電車を当初は同時に整備するつもりで、後に両者の着手のタイミングをずらす形をとる、という経緯を辿ったようだ。

ここから、この電車計画が、既にあった道路に後から引いたわけではなく、当時の道路計画と一体で進められようとした事が分かる。

 

また、別府遊覧電気軌道の特許失効後の昭和14(1939)年の航空写真を見てみると、この頃には既に道路は完成している様子が伺える。

 

簡単に調べただけなので推測の域を完全に出ることは出来ないが、ここから、【ア】~【エ】のカーブを含む道路は、電車計画と一体で整備を進めるという方針から、電車を通すことを考慮して道路引きが行われ、後に電車整備が後発になったり特許が失効した後も、都市計画の大きな変更を行うことなく、そのまま道路だけが整備されたのではないか、と考えることが出来る。

ゆえに、この4つのカーブは、電車を通すことを見越して企てられ、特許失効後もそのまま造られた、別府遊覧電気軌道の数少ない「未成線の痕跡」である、という可能性も十分あるということだ。

 

併用軌道の構造①

数点添付されていた併用軌道の構造図のうち、架線設備付きの構造図は以下のような感じ。

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流川通八丁目~研究所前間は、現在も当時とほぼ同じ2車線道路のため、当時このような併用軌道が造られる予定だったと、面影を感じることが出来る。

 

研究所前[停]

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流川通八丁目から来て最初の行き違い設備付き停留場。

当時からこの近くには既に、現在で言う京都大学 地球熱学研究施設が存在していた。

 

ちなみに余談にはなるが、この京大の研究施設の敷地はかつて、別の電車計画の本社を建てるために造成された用地であった。計画が頓挫し会社が解散したのは大正5(1916)年頃、本社社屋が実際に造られることはなく用地は京大の研究施設用に譲渡され、大正12(1923)年、現在の研究施設建物が完成している。

別府遊覧電気軌道の敷設特許の取得(元となる計画に対して)は大正15(1926)年、失効は昭和9(1934)年と年代が違うので、別府遊覧電気軌道とは別の路線計画だが、それでも当路線の予定ルートの隣には、別の未成線の痕跡も残されているということになる。

(この情報の出典となる書籍の書名・著者が不詳なのだが(該当ページのコピーの際、書名のメモを忘れてしまった)、確か別府の郷土史だったように思う。134~136ページにかけて「山の手廻りの電車会社」「実現しなかった高原電車」という見出しで詳細が記述されている)

 

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鶴見園前[停]

この停留場の図面だけは、何故か独立した立派なものである。

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カーブの途中に停留場が設けられている。研究所前から一つ隣だが、ここにも行き違い設備を設けることになっていた。

 

現在の同地点の様子。鉄輪方面を望む。道路の形状は変わっていないが、道幅は大幅に広くなっており、きっと昔とは様変わりしていることだろう。

 

観海寺口[停]

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ここは単線式の簡素な停留場。

現在、最寄りには杉乃井ホテルが存在している。

 

鶴見地獄下[停]

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ここは行き違い式の停留場。

道路から外れた専用軌道内に設けられる予定だった。

 

専用軌道の構造①

鶴見地獄下[停]の前後、計約280mの軌道敷は、専用軌道が予定されていた。

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上は専用軌道の図面の一つ。この辺りが全くこの通りに造られる予定だったかは定かではないが、計画における専用軌道の姿はイメージしやすい。

 

【オ】下は西側(鉄輪方)の専用軌道出入口が予定されていた場所。

右奥から進んできた線路は、中央の空き地付近で90度カーブを描き、道路上に合流して、左奥の鉄輪方面を目指す予定だった。

 

阿賀変電所

また、この辺りには変電所も予定されており、下の送電系統図にはその大よその位置も書かれている。

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図面によると、住所は「南立石下板地」。

しかし、現在は全く同じ地名は残っていないようで、変電所の具体的な位置は特定出来なかった。近くには類似の地名「板地町」が残っているが、上の図の位置とは反対側に当たり、位置的にも地名的にもやや一致しない。

 

この変電所に関しては他にも、配線図や機器・器具配置図などの図面も残されている。「阿賀変電所」の名は、そこに書かれていたものである。

 

【カ】境川併用橋

境川を渡る部分では、道路鉄道併用橋が予定されていた。

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やや不鮮明ではあるが、上の図はその全体図。橋の下に橋脚2本を配置し、このような橋を架ける予定だった。

 

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上の図は更に詳細な設計図。橋の欄干の形や路面の構造、橋桁の断面が描かれており、詳細な橋の姿が分かりやすい。

これによると、橋脚の上に5本のガーターを乗せ、その上に板を敷き、中央のガーターに線路を乗せるという、当時らしいシンプルな構造とするつもりだったようだ。

 

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橋の路面がどのようになるか、前の図面では少し分かりにくいと思われたので、独自に路面部分の図面を合成し、もう少し見やすくした。

このような感じで、中央に線路を持ってくる予定であった。

(合成図面に多少の歪みがあるのはご容赦頂きたい)

 

現在の同じ場所に架かる橋の様子。鉄輪方を望む。当然だが、全く違うコンクリート橋が架かっている。現橋の下の橋脚は1本である。

 

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扇山[停]

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鶴見地獄下[停]から一つ隣ではあるが、停留場間の距離が比較的離れているためか、ここにも行き違い設備が設けられることになっている。

 

併用軌道の構造②

この辺りの現在の道路も、電車計画で描かれた状態に近い2車線道路なので、もう一つの併用軌道図面に触れておく。

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ここでは、車両の概略図付きで、軌道の断面構造のみならず、軌道からの排水設備の構造についても描かれている。

 

実相寺山[停]

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ここにも行き違い設備が描かれている。図面を見る限り、現在の原(はる)交差点の南側に設置される予定だったとみられる。

昭和14(1939)年の航空写真を見る限りでは、この周辺の人家の量は現在よりもはるかに少なかったようだ。

 

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【キ】専用軌道出入口(南側)

ここから専用軌道にそれる。手前の辺りでやや右にカーブして、中央奥の黄色い建物に向かって直進する予定だった。

 

新別府[停]

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専用軌道内の停留場。鶴見地獄下[停]から4つ連続で、行き違い設備付きの停留場が続いている。

現在のこの付近には類似名のバス停があるが、この場所からは外れている。

 

現在の様子。右が鉄輪方面。中央の建物、あるいはその背後の辺りが、かつての停留場予定地。右か左どちらかの道を付け替えるか何かしない限り、行き違い設備を設けるには随分手狭な感じがする。

 

【ク】春木川橋梁

この路線最大のハイライトともいえる箇所。単線分の専用の鉄橋を設ける予定であった。

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上は電線路構造図の抜粋。架線柱や橋脚などが描かれているため、この図が一番橋梁のイメージが分かりやすい。

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鉄橋の全体像はこのような感じ。「亀川方」と書かれている方が鉄輪方面。全長はおよそ50m、中央(川中)に4本の橋脚が建てられることになっている。

上の図面以外にも、橋脚・橋台などの個別の設計図も、文書内には残されている。

 

現在の様子。左側が鉄輪方。右の白い家の背後辺りから、左の体育館の後ろ寄り辺りまでが、橋梁が架かる予定だった場所。

綿密な設計図が豊富に残されていながら、現在は何も無いものの、実現していれば、別府湾を背後に壮観な鉄橋を電車が渡る姿は絵になったことだろう。

 

専用軌道の構造②

先にも触れてきたが、【キ】~役場前[停]の間は、専用軌道の敷設が予定されていた。

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上はもう一つの専用軌道の図面。軌道設備が架線柱付きで描かれているため、これもイメージが分かりやすい。

実際、現地付近を通りがかったことがあるのだが、特に春木川橋梁~役場前[停]間の当地の感じからすれば、実際にこの通りの専用軌道が造られる予定だったのだろう、と実感しやすい。

 

役場前[停]

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久方ぶりに登場した、単線式の停留場。

現在もこの近くには、市役所の朝日出張所がある。

 

現在の停留場予定地の状況。流川通八丁目方面を望む。道路は奥で右にカーブしているが、線路はこのまま直進し、奥の建物の辺りで専用軌道に入る予定だった。

 

鉄輪[停]

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この路線の(事実上の)終点。ここでひとまず行止りとなるはずだが、何故か上の図面右には「鉄輪方」と書かれている。

終着点らしく、2線式の停留場。ここから更に亀川方面へ延びる路線計画は、工施見送りが申請されている区間

 

現在の停留場予定地。亀の井バスの鉄輪バスターミナルからはやや離れた所に位置しており、みゆき坂・いでゆ坂との交差点の南側が乗り場の場所に当たる。

図面によれば、線路はここから更に少し先まで延び、鉄輪バスターミナルの辺りを線路の終端部とするつもりだったようだ。

 

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別府駅周辺の市中心部や、鉄輪地区といえば、現在でも別府では特に栄えている温泉地区。その2ヶ所および別府市西部(山の手)を通る鉄道は一度も通らないまま終わったが、実現していれば、生活の便に供していただけでなく、高台・山の手からの別府湾の眺望の良さでも、きっと好評を博していただろう。

たとえ、仮に実現して後世の道路事情で廃止されてたとしても、絶景車窓含め、一度は別府の名物となっていたはずだ。

 

今回の路線計画のリポートにあたっては、実際、過去に現地を歩いたことはあるにはあるのだが、あいにく当時は写真を撮らなかったため、今回はストリートビューでの代用となった。また別府を訪れる機会があれば、現地踏査を行った上で加筆したい。

 

★ 参考文献 ★

鉄道省文書『別府遊覧電気軌道(一)・自昭和二年至昭和十年』(1927~35年、国立公文書館蔵)https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?KEYWORD=&LANG=default&BID=F0000000000000556479&ID=&TYPE=&NO=

※記事中の当時の資料は全てこの文書より引用。また記事中の現代の地図も、全て文書内の図面を基に作成。

●田尻弘行『大分交通別大線』(ネコ・パブリッシング、2006年)

森口誠之『鉄道未成線を歩く 私鉄編』(JTBパブリッシング、2001年)

 

その他ウェブサイト、書籍若干

 

※記事中の地図はOpenStreetMapのものを使用。

【未成線】京神急行電気鉄道を歩く(京都・神戸)

~ 大阪を経由せず、京都-神戸を直結しようとした ~

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関西圏といえば、主に京都・大阪・神戸の「京阪神」3都市で構成されている。

それらを結び合わせるのに、京都~大阪なら京阪本線JR京都線阪急京都線、大阪~神戸なら阪急神戸線阪神本線JR神戸線、といった都市間鉄道が直通している。

 

ならば京都~神戸間はどうか。大阪を経由せず両都市を直結する鉄道は、一路線も存在しない。

確かに両都市の直通需要は上記2ルートの乗継あるいは直通で満たされているため、ダイレクトに結ぶ路線は実際、現時点では不要である。それでも、トライアングルの発想でいくと、「もしも京都~神戸を(大阪を経由せず)直結する鉄道が~」と考えたくなったとしても、不思議ではないだろう。

 

そのような発想に基づいた鉄道計画も、かつては実在したのである。その一つが今回紹介する「京神急行電気鉄道」である。

 

★ 概要 ★

京神急行電気鉄道――「京神」は「けいしん」と読む。

計画は昭和3~6(1928~31)年頃に存在していた。

 

実のところ、京都~神戸間を直結しようという鉄道計画は、他にも幾つか存在していたのだが、この路線の場合は、京都から丹波地域を経由して神戸を目指すこととしていた。

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駅数は起終点含めて17駅

四条大宮から保津川沿いの山中を回り込み、亀岡を通り、現在の摂丹街道に沿って川西、伊丹と出て、神戸の山地に沿いながら、現在の王子動物園付近に至るルートが予定されていた。

 

ここで特筆すべきことは、駅位置や駅名までもがちゃんと想定されていた点である。

免許申請時の鉄道省文書に折り込まれた図面に、それらがしっかり書き込まれており、当時の具体的な計画像が非常に分かりやすい。

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そしてもう一つ特徴として読み取れる事は、カーブや山中を通る区間が随分と多いことである。

「急行」の名を冠した都市間鉄道だけあり、確かに駅数は少なめに設定されているものの、このような路線条件の下で高速運転を目指していたのかどうかについては、少々疑問が残る。

地方鉄道法に準拠するといった趣旨が鉄道省文書にも記載されており、路面電車のような路線ではないことは間違いないが、同じくカーブの多い、現在の京阪電車のような路線形態を目指していたのだろうか。

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その他の路線データは以下の通りである。

 

  • 距離:約71.3㎞(44マイル24チェーン)
  • 線数:複線(全線と思われる)
  • 軌間1435㎜(文書には“4尺8寸2分の1”と記されていたが、数値的に“4フィート8と2分の1インチ”のことであろう)
  • 電化方式:直流1200V(架空単線式)
  • 備考:貨物輸送も想定

 

なお、路線名を「京神急行電鉄」と略してしまうと、同時期に存在した全く別の鉄道計画を指すことになってしまうので、厳密には略すことは出来ない。

 

★ 歴史 ★

  • 昭和3(1928)年:敷設免許を申請。

当時の発起人の人数は総代含めて11人、資本金は当時の額で2000万円とされていた。

 

この発起人たちの住所を見てみると、東京市(当時)の人たちが多数を占め、その他に大阪市名古屋市山口県と続いている。

関西の人は数人ほど混じっているものの、それ以外は関西圏外の人たちで構成されていることが分かる。

 

また、申請書類には予想旅客輸送量は296万5561人と記されている。但し、1日当たりについてなのかどうかが特に明記されておらず、厳密に解釈する上ではやや曖昧さが残る。

 

このようにして路線計画が出願されたわけだが、国により審査されていく過程で、計画は幾つかの壁にぶつかることになる。

 

  • 並行路線の問題

この計画は、営業線だけでなく他の計画線も含めると、幾つもの路線とルートが被ることになっていた。これについては後ほど詳しく述べる。

 

路線計画の手続きが行われていく中で、上記2知事から国に向けて次のような意見が出されている。

 

京都府知事からは、計画線が風致地区や急峻な山地を経過する箇所があるため、敷設は困難を極めるだろうとしており、加えて、経過地及び終点の地名に相違がみられたり、電力受給者名の記入漏れがあったりするなど、書類に不備があるとも指摘している。

 

・一方兵庫県知事からは、最初の方では計画線に対し一定の理解を示す趣旨の事を述べながらも、終着駅は他の交通機関との連絡に問題があるため変更の必要があるとしており、なおかつ、路線が経由する神戸市東部の住宅地は発展の著しい地区であり、都市計画道路との関係もあるため、線路の移設/高架化/地下化のいずれかを行う必要があるとしている。

 

計画者側にとってはウィークポイントを突かれたり、追加の手間や負担を求められたりした格好となる。

 

  • 鉄道大臣の交代

出願から免許の是非が決まるまでの手続き中に、計画を審査する国側での動きの変化も、この路線計画の風向きを大きく変えることになる。

 

先述の通り、この路線の出願は昭和3(1928)年。この当時、鉄道計画の免許認可を行っていた鉄道省の大臣は小川平吉(昭和2(1927)年就任)であった。

この大臣は、当時5年ぶりであった政友会政権(田中義一内閣)の下で、各地の鉄道計画に対し、免許認可の大サービスを行っている。民鉄資本を懐柔し、政友会内閣のためにも尽くそう、ということだったらしく、既存路線と競合しようがしなかろうが、次々と免許を交付し、その総路線距離は多い時で1683㎞(昭和2(1927)年)。この姿勢は大臣辞任の直前まで続いた。

しかし、満州(当時)での張作霖爆殺事件の件で、田中内閣が昭和天皇の不興を買い退陣したことにより、昭和4(1929)年、大臣の職を辞している。

 

そしてこの後を継いだのが、民政党政権の江木翼浜口雄幸内閣、同年就任)であった。

政権党が交代したこともあり、この大臣の下では鉄道免許の認可が大幅に抑制される。財政緊縮政策の一環でもあったようで、その認可総距離は多い時でも21.6㎞(昭和5(1930)年)。前大臣の時と比べればかなりの落差である。

 

この路線の免許について是非が決まったのは、昭和6(1931)年のこと。まさしく出願後の手続き中に起こった交代劇であり、計画者にとってはここで雲行きがかなり怪しくなってしまう。

 

このようにして様々な問題や壁に当たり、この計画にとっては形勢が不利になってしまうわけだが、状況は特に変化することはなく、ついに以下のような結末を迎える。

 

  • 昭和6(1931)年:敷設免許申請が却下される

国側から示された理由としては、山陰線の一部、京畿鉄道(未成)、能勢電伊丹延伸線(未成)、阪急神戸線、京神高速電鉄(未成)と並行しており、当時の交通状態ではさらに路線を敷設する必要性は低いため、というものだった。

 

当時の関係者たちは、どれほど無念な思いをしたのだろうか。

こうして、京都~神戸間を直結するという都市間鉄道の夢の一つはここで止まり、計画は幻と消えたのである。

 

ちなみに、上記で並行線になると示された当時の鉄道計画のうち、現代において実現しているものは、既知の通り一路線も無い。

実現しなかったがゆえに、現在まで終始鉄道空白域だったり、鉄道が一路線しか存在しなかったりする地域もある。現代における結果および基準で考えれば、上に示された並行線を問題にせず実現させても良かったのでは、とも思えてきてしまうのは、何とも皮肉なものである。

(※なお、能勢電伊丹延伸線については、阪急陣営が自社のテリトリーへの他社の進出を防ぐために、能勢電と協働して用意しておいた、とも言われている。未成線や鉄道計画の事情というのは複雑である。)

 

未成線を歩く ★

現地踏査時期:2017年9月

写真中の赤い破線は未成線のおおよその位置を示している。

 

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【ア】起点が予定されていた四条大宮。右側のビルの場所が駅位置として想定され、四条通沿いに(奥に向かって)しばらく西行するとされた。

 

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【イ】西大路三条付近で一瞬、嵐電と並行する。この辺りは京都市街地を北西に向かい斜めに進むことになっていた。

 

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【ウ】太秦駅予定地。JR花園駅からやや西に行った所に想定されていた。

 

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【エ】JR嵯峨嵐山駅のすぐ横に上嵯峨駅を想定。

 

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【オ】鳥居本の街並みの横をかすめ、奥の山でトンネルに突入することになっていた。この近くにはかつて愛宕山鉄道も走っており、その路線とも並行する予定だったことになる。

 

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【カ】水ノ尾駅予定地は何もない山中であり、ケータイですら圏外になってしまうが、ここから水尾集落までは3㎞弱ほどである。

 

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【キ】当地点より北東方向、計画線が山から出てくる予定だった山間部を望む。こうして見ると、この路線の急峻さがよく分かる。

 

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【ク】亀岡駅予定地もJR駅よりやや離れた場所に想定されていた。

 

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【ケ】穴太寺駅が予定されていたのは田園地帯のど真ん中。人家までは少し離れており、現在でもこの周囲は田んぼと未舗装の農道しかない。

 

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【コ】奥の山に向かって、ひたすら田園地帯を直進する。この辺りには京都学園大学もあるが、実現していれば更に便利になっていたのだろうか。

 

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【コ】同地点より遠望。赤線が曲がる辺りから山間部を縫い始め、山の向こうの集落、西別院地区を目指す。

 

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※【サ】~【ス】は交通アクセス等の事情により、現地踏査を省略し、ストリートビューの埋め込みで代用した。

 

【サ】西別院駅が想定されていた辺り。実際の集落からは少々外れた場所に当たる。

 

【シ】野間口駅予定地付近。この辺りは妙見山の裏側に当たり、東側の玄関口となっている。

 

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【ス】止々呂美駅が予定されていた付近。この辺りもかつてはのどかな山間部であっただろうが、グリーンロードトンネルや箕面森町が近くに出来、都市化が波及している。

 

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【セ】細河駅予定地。「細河」という地名自体も、今は近くの郵便局等に僅かに名を残すのみとなったようだ。

 

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【ソ】現在の絹延橋駅付近で一瞬、能勢電鉄と並走する。

 

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【タ】川西駅予定地。駅が出来ていればこの辺りにも駅前商店が軒を連ねていたのだろうか。

 

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【チ】この辺りは府道13号線とおおよそ重なっており、かつての能勢電伊丹延伸線計画とも並行している。

 

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【ツ】小河川と並行した建物の辺りが、かつて伊丹駅が想定されていた場所。

 

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【テ】ここで武庫川を渡る。ここから西へ少し行った所に、甲東駅が予定されていた。

 

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【ト】この辺りは地形の関係か、奇遇にも計画線ルートと町割りの形状が一致している。

 

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【ナ】ここから甲山の裏側を回り込むように、再び山間へと突入していく。

 

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【ニ】左の森の辺りが、明礬温泉駅予定地。かつて苦楽園を賑わせたラジウム温泉も、今は過去のものに。かつてはその「温泉リゾート」を目指して幾つもの鉄道計画が立てられたので、この路線もそのアクセスを目指していたのかもしれない。

そしてここは驚くほど標高が高く、眺望が望める。実現していれば絶景車窓が眺められたに違いない。

 

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【ヌ】対岸の山の斜面に、山芦屋駅を予定。標高といい路線条件といい線形といい、完全に山岳鉄道の様相である。

 

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【ネ】中央右寄りの白いマンションの辺りを、高い橋梁で渡る予定だったのだろうか。ここから西(写真左)へしばらく行った所に、上住吉駅を予定。

 

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【ノ】終点の神戸に向けて、高台を駆け下りていく。ここは六甲ケーブルにも少し近い。

 

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【ハ】終点・神戸駅予定地は、王子動物園の北、王子スポーツセンターの場所。神戸側のターミナルとはいえ、繁華な場所より少し離れており、最寄りのJR灘駅や阪急王子公園駅よりも高台に位置している。

 

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結局は一路線も実現することはなかった、京都~神戸間の直結鉄道。

それでも、並行するとされた他の計画線も未成となった以上、この路線が出来ていれば、その存在意義を十分に発揮できたのでは、と思えるような地域も多く存在する。

とりわけ、現状として山陰線一本しか鉄道が存在しない亀岡なら、山陰線が止まった場合のバックアップとして十分機能するし、亀岡から川西にかけての鉄道空白域は解消され、亀岡や南丹地域から大阪方面へのアクセスも山陰線以外に確保される。

今この現代においてこの計画線をまた復活させるのは流石に無茶ではあるが、それでも、計画された当時に実現していれば、ひょっとしたら「京神特急」という言葉もまた、関西の日常の一部として定着していたかもしれない。そんな特急電車に乗ってみたかったような気もする。

 

★ 参考文献 ★

 

その他幾つかの文献・ウェブサイト等

 

※記事中の地図はOpenStreetMapのものを使用。

【未成線】二条~和邇の国鉄予定線の一部を歩く(京都)

京都市内は北野天満宮金閣寺付近を通る予定だった ~

 

かつて山陰線・二条駅から、湖西線和邇駅付近まで計画されていた、国鉄予定線。

この路線計画自体は、現在では鉄道ファンの間では知る人ぞ知る存在となっているが、当時の具体的なルートを示す資料は一般には殆ど出回っていないため、大まかな経由地以外は長年、謎に等しい状態となっている。

そのため具体的なルートは、未成線が実現した場合の予想地図を作っている鉄道ファン達にとっても、彼らの自由な発想力に一任されている。

 

しかし、自身が他の未成線の資料を当たっていたところ、偶然、その路線の具体的なルートの一部を示す図が見つかった。

今回は、そんな予定線の新たな一面を紹介する。

  

★ 概要と歴史 ★

そもそもこの鉄道計画は、(一部では周知の通り)かつて存在していた「鉄道敷設法」において規定されていたものである。

 

その中の別表に記載されている、七十七項(前略)高城ヨリ分岐シテ京都府二条ニ至ル鉄道」がそれである。

 

この予定線自体は、正式には1922年(大正11年)の(新)鉄道敷設法制定と共に登場し、1986年(昭和61年)の同法廃止と共に消滅した事になっているが、調査線または工事線への昇格などといった目立った動きは特に無かったと思われ、正式に消滅するよりかなり前から、計画に対してはあまり本気ではなかったと推測される。

 

『鉄道未成線を歩く 国鉄編』(森口誠之、2002年)の巻末リストによると、滋賀県側の分岐点に当たる「高城」は、現在のJR湖西線和邇駅付近であり、なおかつ大まかな経由地は「途中」「大原」(比良山地の裏側)とも記されている。

 

これらの位置関係を概略図に示すと以下のようになる。

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(「今回のトピックの範囲」については、後ほど触れる本題である。)

 

ただ、現在出回っている資料や情報から把握できるのはせいぜいここまでで、では具体的かつ正確なルートは何処と定められていたか?となれば、多くは半ば謎に包まれている。

和邇(高城)から途中地区や大原地区となれば、ある程度範囲が限られているため、大まかでも何処を通りそうかというのは大体絞れる。

だが、大原以南~二条の京都市内となれば、様々なルートパターンが考えられてしまうため、皆目見当も付かなくなる。

そのため、京都市内は正確にはどの場所を経由するか、については、もはや自由な発想に基づく想像に任せるしかなかったのである。

 

― 新たな資料の発見とルート ―

しかし、その不明確な部分は、意外な場所に掲載されていた。

 

ある時、「高雄鉄道(元高雄電気鉄道)」と呼ばれる他の未成線について調べるため、その資料である鉄道省文書「工事竣功期限延期願却下並免許取消ノ件」(1935(昭和10)年)という行政文書に当たっていた。

 

その巻末に付属していた図面(未成線のルートマップ)を見てみると・・・

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上の「 同(注:国有鉄道)敷設法予定線」という凡例と共に、右下の二条駅から、蛇行しながら北東方向へと別れていく、色付き(モノクロだが)の路線が描かれているではないか。

 

偶然にも、二条~和邇国鉄予定線の、京都市内の具体的なルートの一部を見つけたのである。

 

(※上記資料については、本稿文末の参考文献の項にリンクを貼っておく。)

 

その見つかった図に描かれたルートを、現代の地図に落とし込んだのが、以下の図である。

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図によれば、予定線は二条駅北部の山陰線カーブで分岐したのち、北西方向へと進路を変え、丸太町通を横切る。

次に進路を北方向へ戻し、白梅町の東側をかすめる。

その後北野天満宮のすぐ西側をかすめ、やや北東寄りで北上。

そして千本北大路交差点の北西角を通過しながら進路を北東へ切り、大徳寺の左上を通過し、また緩やかに北方向へカーブするように堀川北山交差点の西側を通る・・・といったルートを描いている。

 

ここから読み取れることは、この付近の予定線は、千本通周辺の市街地を避けるルートをとっているということである。

 

戦前、いくら強制的な権限を持っていた国といえども、市街地を無造作に横断するような乱暴な真似はせず、昔からの市街地を回避するよう配慮された、とも推測することが出来る。

 

果たしてこのルートがどこまで正確な情報かは厳密には何とも言えないが、国との行政手続きの書類において書き込まれていたものであり、地形や当時の町割りを利用してルートが引かれていることから、ここでは十分信憑性のあるものと見なすこととした。

 

それでは、この予定線が実際にどのような場所を通る予定だったのか、現地の写真と共に見ていこう。

 

未成線を歩く ★

現地踏査時期:2017年8月

写真中の赤い破線矢印は、予定線が通るおおよその位置と方向を示している。

 

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【ア】山陰線との分岐地点。予定線は北側へ分岐し、山陰線より緩やかなカーブで北西方向へ進む予定だった。

 

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【イ】丸太町通との交差地点。通りを斜めに横断する予定だった。昭和初期当時には既にここを市電が走っていたため、実現していれば立体交差になっていたのだろうか。

 

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【ウ】碁盤の目の市街地をしばらく斜めに突っ切ったのち、北方向へと進路を変える。

 

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【エ】北野天満宮付近。昭和初期はまだ今出川通は白梅町まで延びておらず、当時門前町まで達していた嵐電がここを横切っていた。実現していれば、もしかしたらこの辺りに「北野天満宮駅」が出来、嵐電との乗換駅にもなっていたかもしれない。

 

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【オ】北野天満宮の西側、天神川沿いに北上する。工事は恐らく行われていないが、両岸とも鉄道を通すには丁度良さそうなスペースがある。

 

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【カ】北野天満宮北西角付近。この通りや住宅群に沿って北上する予定だったと思われる。

 

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【キ】道路はここで二手に分かれるが、予定線は中央の建物に向かって直進する予定だったと考えられる。

 

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【ク】ここで天神川を跨ぐことになる。写真には無いが、この辺りは天神川の深い峡谷となっており、両岸に崖と言えるほどの激しい高低差があるので、予定線は河岸崖の上を走り、ここには高い鉄橋を架けるつもりだったのだろうか。

 

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【ケ】千本北大路交差点。中央の白い建物の裏側を通るルートを採っていた。この辺りにはかつて古くから市電が通っており、金閣寺にもほど近いので、ここにも駅が出来ていたかもしれない。

 

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【コ】経路図上ではこの辺りを北東に向かい進んでいるのだが、そのまま行くと大徳寺の境内に突っ込んでしまう・・・。いくら戦前とはいえ、寺社の境内まで無造作に突き進んでいく事など有り得るのだろうか。

 

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【サ】もしかしたら大徳寺を避けるように、境内のすぐ北側を、奥に続く通りを緩やかに斜め横断するようなルートを、実際は採る予定だったのかもしれない。

 

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【シ】ここは昔からの道が南北に横切っており、丁度“逆くの字”で折れ曲がる地点で予定線が交差しているので、この辺りは昔からの町割に従いルートが引かれている事が分かる。

 

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【ス】堀川北山交差点より西に入った所。北山通が出来たのはここ数十年のことだが、予定線はここでも通りを斜めに横切る。今回ルートが判明した区間はここで終わりとなる。

 

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1974(昭和49)年に湖西線が開通し、関西圏と湖西路、敦賀方面が結ばれた。一方、同じ七十七項線であった若江線(近江今津~上中)は、後世まで長らくその計画が生き続けたものの、開業には至っていない。

そのため、大阪や京都から湖西・敦賀・北陸・若狭方面への連絡において、この予定線の存在意義は、既に数十年前から大きく薄れてしまっていたと見てよい。逆に言えば、京都市内北西部や洛北、大原、途中地区などの局所連絡の役割を持つ、ローカル色の強い路線だったとも言えそうだ。

 

それでも「もし実現していれば…」と少し惜しまれるのは、北野天満宮および白梅町や金閣寺まで、当線を利用して「JRで直接乗り付ける」ことが出来たかもしれないこと、市電の廃止で鉄道空白地帯となった京都市内北西部が完全に空白化せずに済んだかもしれないこと、そして、大原地区まで鉄道で簡単アクセス出来たかもしれないこと、などが挙げられる。「歴史にもしもは無い」とはよく言われるが、あながち無視は出来ないこのようなメリットを考えると、やはり夢想したくなってしまう。

 

何はともあれ、他の未成線のリサーチにより、今回偶然にも一部の明瞭なルートが分かったわけだが、それが一部に留まった、というのもまた少し惜しい点である。一体このルートの元の情報源はどこなのか、突き止めるのは非常に難しいと思われる。昔の資料にちゃんと載っていたくらいなのだから、何とかして何処かから他の部分の情報も引っ張り出すことは出来ないものか・・・と悩ましいところだが、現段階では雲を掴むような話であり、歯がゆいものである。

 

★ 参考文献 ★

鉄道省文書「高雄鉄道 工事竣功期限延期願却下並免許取消ノ件」(1935年)http://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M0000000000000390201

●『鉄道未成線を歩く 国鉄編』(森口誠之、2002年)

 

※記事中の地図はOpenStreetMapのものを使用。

【未成線】東西線「駅カラー」未使用色が意味するもの(京都)

~ 垣間見える幻の未開業駅の光景 ~

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京都市内の東西と東部の郊外を結ぶ、市営地下鉄東西線

山科から六地蔵にかけての住宅地および、観光地・東山地区や市内中心部の御池通りをカバーする重要な交通機関として、日々、多くの人に利用されている。

 

この路線の計画段階での原型は、市内の御池通りを基軸に、東は山科・醍醐地区、西は洛西・長岡京方面を結ぶもので、当初から逆U字型のルートが想定されていた。

そのうち、公共交通が乏しく、渋滞が深刻化していた山科・醍醐地区を結ぶルートから早急に着手される事になった。醍醐~二条間の方が先に開業したのはこのためである。

 

その後、醍醐~六地蔵間が延伸開業し、二条~太秦天神川間も延伸され、「いずれは洛西方面へも必ず到達させる」とは言われていたが、かねてから知られている通り、文化財の発掘調査等で高騰した建設費が仇となって、深刻な赤字に陥り、地下鉄を運営する京都市交通局は、財政破綻の一歩手前である「経営健全化団体」として、その業績を改善しなければならなくなった。

そのため、洛西方面への延伸は、事実上目処が立たなくなってしまっているのが現状である。

 

今回のトピックは、そんな東西線の洛西延伸計画を、各駅で採用されている「駅カラー」の観点から見てみようというものだ。

 

延伸計画と「駅カラー」の相関 ★

そもそも東西線の洛西延伸計画とはどのようなものか? そして、東西線各駅で採用されている「駅カラー」とはどのようなものなのか? 少し詳しく見ながら、今回のトピックの核心に迫っていきたい。

 

近畿地方交通審議会 答申第8号(2004. 10. 8 国土交通省)によれば、延伸区間は(太秦)天神川から梅津、上桂付近を経由し洛西に至るもの(7.7km)とされている。その大まかなルートは下図の通りである。

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先にも述べたように、この計画ルートは東西線計画の原型となる段階から存在し、また上記答申でも「中長期的に望まれる鉄道ネットワークを構成する新たな路線」として位置づけられている。

(洛西ニュータウンの多くの住民が、この計画を当て込んで入居した、という話もよく知られている事である。)

 

なお、洛西からさらに先、長岡京方面への延伸計画については、上記答申では(太秦)天神川~洛西間とは実質的に切り離されており、事実上副次的な扱いに留まっている。

 

これらの事を踏まえた上で、東西線の「駅カラー」について見てみよう。

東西線は各駅に色が付けられているが、実はこれらは、ある一定のルールに基づいて割り当てられている。下の図を見て頂きたい。

f:id:dsusdrlwy1372:20170919012954p:plain

これら「駅カラー」は、駅ごとに異なっており、またその移り変わりは、ほぼグラデーションするように変化していくのである。

 

ここで、このカラーリングをよく見てみると…… 勘の良い人なら「ある事」に気が付くかもしれない。

 

・・・そう、東西線の「駅カラー」には、未だ「緑系の色」が使われていないのである。

 

では、なぜ緑系の色の駅が無いのか?

紛れもなく、最初に説明した事実と照らし合わせると、東西線未開業区間の駅で登場するものだから、と考えることが出来るだろう。

 

さらに、烏丸御池から太秦天神川までの「駅カラー」の推移に着目してみると、赤色→朱色→オレンジ→黄色→レモン色…と推移している。

 

そして、一般的な色法則(赤→橙→黄→黄緑→緑…、虹色の移り変わりと同じ)から考えてみると・・・

 

太秦天神川の次以降に来るであろう色は、「黄緑→緑…」ではないか?と、容易に予想することが出来る。

 

ゆえに、これらの事から、太秦天神川(駅番号T17、レモン色)の次に来るはずの未開業駅(T18、T19)の「駅カラー」は「黄緑、緑」であろうと見なし、未だ見ぬ未開業駅の「幻の光景」を容易に再現することが可能になる。

 

★ 幻の未開業駅を再現する ★

先にも書いたような経緯から、太秦天神川(T17、レモン色)の先に出来るであろう駅2つ分を、それぞれ「T18、黄緑色」および「T19、緑色」とし、実際に「幻の光景」を再現してみた。

 

なお、再現する駅をこの2つにしたのは、これらの駅カラーが最も容易に予測・再現しやすかったからである(後ほどまた詳細を述べる)。

 

まずは、未開業駅「T18から。

 

以下は(言うまでもないが)プラットフォームの光景である。

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黄緑色のホームドアに、黄緑色の柱……

一見どこかの駅にありそうな光景で、知らない人が見ればごく自然な駅風景であるが、このような駅はどこにも存在しない・・・

まさしく、本来存在すべきでありながら全くその姿が存在しない「幻の駅」の光景を見ていることになる。

 

そして以下は、線路内に取り付けられている、駅名標部分。

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先述の通り、洛西延伸線は梅津付近を経由するとあり、また梅津地区中心部は、太秦天神川駅から1駅分の距離であるということから、太秦天神川の次駅はこの辺りに出来るであろうと仮定し、駅名には「梅津」を当てはめておいた。

 

次に、未開業駅「T19

 

同様に、プラットフォームの光景を最初に示しておく。

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普通ならば姿や形が明確には分からないはずの、いわば「未成駅」とも呼べるものの光景を、これほどまでに鮮明に再現して見ることが出来るというのは、鉄道ファンにとっては興奮モノであろうが、何も知らない普通の人にこの写真を見せて「東西線にはこんな駅があるんですよ~」的なことを言っても、簡単に信じられてしまいそうな気がする(特に京都以外の人)。

 

そしてここも同様に、駅名標部分を。

f:id:dsusdrlwy1372:20170919014835p:plain

梅津から次の経由地である上桂付近までは、1駅分にしてはかなり距離がある。そのため、間に1駅分入れられるだけの距離である。

梅津と上桂の丁度間辺り…とくれば、上野橋南詰(上野橋バス停付近)が妥当な位置となる。

よって、この辺りに駅が出来るであろうと仮定し、駅名には「上野橋」を当てはめた。

なお、T19の次の駅(T20)は、上記の通りこの駅から丁度1駅分の距離の所が、上桂地区に該当するため、「上桂」としておいた。

 

ちなみに、未開業駅の再現をこの2駅だけにしておいた理由を換言するならば、東西線の「駅カラー」の遷移パターンは、必ずしも一般的な色法則には基づいていないため、T19→T20…の先の「黄緑→緑…」の次以降にどのような色が来るか、確たる予測をすることが必ずしも出来ないからである。

つまり、「黄緑→緑」の次は、例えば「深緑」が来るとも考えられるし、あるいは「緑と青の中間色」が来るとも考えられるし…などと、複数パターンが考えられるからである。

ゆえに、出来る限り個人的願望の混じった「予測」が独り歩きしてしまわないよう、予測・再現の範囲を2駅に留めておいた次第である。

 

********************

 

東西線の洛西延伸は、二条~太秦天神川の延伸開業の頃前後から既に怪しかったように思うが、京都市長が現在の市長になる前の市長の時、いつの日にかは必ず、地下鉄を洛西まで到達させる、と本人は強調していたように記憶している。

しかし、市長が変わり、京都市交通局は財政危機に陥り、経営健全化団体となり…といった流れを辿り、現在までに延伸計画がどのような状況になっているかは、既知の通りだろう。

 

仮に、将来洛西延伸が再び動き出したとしたら、工費節減のために地下線方式をやめ、太秦天神川~洛西間は高架線方式で造る・・・と、方針転換されるかもしれない。

しかし、現に計画は経営状況諸々で殆ど動いていない状況だし、そのような事は一切議論されていないはずなので、当然ながら実際にどうなるかは、まだ何とも言えない。

 

交通局が経営健全化団体を脱するにも一説には数十年かかるとも言われているし、現に洛西ニュータウンも人口流出が起きているとも言われる。実際、ニュータウン付近を走るバスを見てみると、普段は小型の車両に人はまばら。「こんな所に地下鉄造るとか京都市本気かよ!?」と、驚嘆の念を抱いてしまったものである。

 

これらのことから、東西線が洛西まで到達するという「夢」は、しばらく停滞のトンネルの出口は見えそうにない。下手すれば、ここで再現したような駅の光景は、本当の意味での「幻の光景」として永遠に見られなくなるかもしれない。東西線「駅カラー」で未だに使用されていない「緑系の色」は、単なる夢の跡を象徴するものとして「永久欠番」ならぬ「永久欠色」になってしまうかもしれない。

駅ナンバリングこそ、延伸計画の無い六地蔵をT01から始めて、太秦天神川をT17で終わらせていることから、延伸への姿勢はまだまだ失われていないようだが、果たして今後洛西進出がどうなるのか、大きな期待は出来ないまま、先は見通せないでいる。

 

(※未開業駅の再現コラージュ作成に当たっては、太秦天神川駅の光景を使用した)

 

★ 参考文献 ★

近畿地方交通審議会 答申第8号 付図2(2004. 10. 8 国土交通省) http://wwwtb.mlit.go.jp/kinki/shingi/toshin/huzu.pdf#page=2

Wikipedia京都市営地下鉄東西線』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%96%B6%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E6%9D%B1%E8%A5%BF%E7%B7%9A

【目録】未成線(記事化/訪問歴)

このページでは、自身が既に当ブログで記事化したもの、或いは過去に訪れた未成線路線を、一覧にして記している。

自身の訪問歴としてだけでなく、当ブログの記事目録も兼ねているため、路線の掲載順は「最近のもの→より昔のもの」という順番で並べている。

 

-凡例-

緑色の太字……記事化した路線(リンクとしてクリック出来る)

赤番号.下線付き……海外の路線

◆右端の日付(例:20YY.MM)……現地踏査時期

 ↑※現地を訪れず記事化だけしたものには「 (現地踏査なし) 」と記している。

 

当ブログの概観や記事探しなど、閲覧の手助けとなれば幸いである。

 

56.大別府ケーブル鉄道(大分県別府市)(現地踏査なし)

55.別府遊覧電気軌道(大分県別府市)(現地踏査なし)

54.京神急行電気鉄道(京都府京都市~兵庫県神戸市)2017.9

53.国鉄予定線(二条~和邇の一部)(京都府京都市)2017.8

52.京都市営東西線・洛西方面(京都府京都市)(現地踏査なし)

51.ブライズ=グレン電停延伸構造(アイルランド・ダブリン)2016.5

50.弾丸列車・新神戸調査坑(兵庫県神戸市)2016.2

49.近江鉄道貴生川駅延伸構造(滋賀県甲賀市)2016.1

48.北陸新幹線福井駅高架橋(福井県福井市)2015.12

47.近鉄河内長野駅延伸・複線化構造(大阪府河内長野市)2015.11

46.近鉄御所駅延伸構造(奈良県御所市)2015.10

45.天神南駅延伸構造(当時)(福岡県福岡市)2015.10

44.谷町線・大日駅延伸構造(大阪府守口市)2015.9

43.井高野駅延伸構造(大阪府大阪市)2015.9

42.堺筋線天下茶屋駅延伸構造(大阪府大阪市)2015.9

41.泉北地区国鉄用スペース(上野芝駅~深井駅)(大阪府堺市)2015.9

40.和田岬未成短絡線(兵庫県神戸市)2015.9

39.京阪梅田駅予定地(大阪府大阪市)2015.9

38.大阪駅初期予定地(田蓑橋付近)(大阪府大阪市)2015.9

37.中央線コスモスクエア駅延伸構造(大阪府大阪市)2015.9

36.第二阪神線用分岐構造(御影・尼崎)(兵庫県神戸・尼崎市)2015.9

35.千鳥橋駅追越設備準備(大阪府大阪市)2015.9

34.太秦天神川駅延伸構造(京都府京都市)2015.9

33.三宮・花時計前駅延伸構造(兵庫県神戸市)2015.9

32.関西空港駅延伸構造(大阪府泉南郡)2015.9

31.野田阪神南巽駅延伸構造(大阪府大阪市)2015.8

30.ウッディタウン中央駅延伸構造(兵庫県三田市)2015.8

29.神鉄公園都市線複線化準備(兵庫県三田市)2015.8

28.日生中央駅延伸構造(兵庫県川辺郡猪名川町)2015.8

27.地下鉄大正駅延伸構造(大阪府大阪市)2015.8

26.ニュートラム四つ橋線住之江公園駅延伸構造(大阪府大阪市)2015.8

25.和泉中央駅延伸構造(大阪府和泉市)2015.8

24.御堂筋線・なかもず駅延伸構造(大阪府堺市)2015.8

23.八尾南駅延伸構造(大阪府八尾市)2015.8

22.今里筋線・今里駅延伸構造(大阪府大阪市)2015.8

21.阪急千里線延伸計画大阪府吹田市)2015.8

20.学研奈良登美ヶ丘駅延伸構造(奈良県奈良市)2015.8

19.モノレール門真市駅延伸構造(大阪府門真市)2015.8

18.彩都西駅延伸構造(大阪府茨木市)2015.8

17.北急千里中央駅延伸構造(大阪府豊中市)2015.8

16.中之島駅延伸構造(大阪府大阪市)2015.8

15.JR難波駅延伸構造(大阪府大阪市)2015.8

14.貴志駅延伸構造(和歌山県紀の川市)2015.8

13.近鉄(新)京都駅予定線(京都府京都市)2014.9

12.油須原線(赤駅付近)(福岡県田川郡)2014.7

11.油須原線・福田トンネル(福岡県田川郡)2013.12

10.大分交通別大線・延伸スペース(新川交差点以東)(大分県大分市)2013.11

9.近鉄内部線(当時)・内部駅延伸部(三重県四日市市)2012.3

8.筑豊電鉄直方駅延伸構造&未成線用地(福岡県直方市)2012.2

7.高千穂線(高森トンネル)(熊本県阿蘇郡高森町)2011.12

6.摂丹鉄道(湯の花温泉付近)(大阪府豊能郡京都府亀岡市)2010.5

5.鞍馬電鉄未成区間二軒茶屋~小山)(京都府京都市)2005.6

4.大鳴門橋・鉄道準備部(徳島県鳴門市)2004.5

3.叡山電鉄叡山本線延伸計画(八瀬~堅田方面)(京都府京都市)2003.3

2.阪急西院貨物線(京都府京都市)2002.8

1.東海道新幹線鳥飼車両基地連絡線(大阪府摂津市)2002.8

【目録】廃線跡(記事化/訪問歴)

このページでは、自身が既に当ブログで記事化したもの、或いは過去に訪れた廃線跡を、一覧にして記している。

自身の訪問歴としてだけでなく、当ブログの記事目録も兼ねているため、路線の掲載順は「最近のもの→より昔のもの」という順番で並べている。

 

-凡例-

緑色の太字……記事化した路線(リンクとしてクリック出来る)←※近日準備予定

下線付き……海外の路線

◆右端の日付(例:20YY.MM)……現地踏査時期

 

-補足-

当リストは非常にボリュームが多く、過去に遡れば遡るほど記事化している路線も少ないので、特にリストの下の方はザッと見でも構わない。(これだけ各所多数の路線を長きに渡り訪れ続けている、という事を理解して頂くだけでも十分である)

左端に振ってある通し番号は、リストの中ほどを中途修正した関係で、数ヶ所ほど番号がおかしかったり、欠番があったりする。(但し、リスト最上部の路線の番号は、過去の廃線跡の訪問箇所数を表す数として正確である)

 

なお、廃線跡については、自身のTwitter@dsusdrlwy_1372)でも重点的に取り上げていくこととしている。

 

当ブログの概観や記事探しなど、閲覧の手助けとなれば幸いである。

 

206.みさき公園リフト・ロープウェイ(大阪府泉南郡)2017.9

205.神鉄湊川旧線(兵庫県神戸市)2017.6

203.京阪・国鉄膳所連絡線(滋賀県大津市)2017.6

202.梅小路貨物線(京都府京都市)2017.5

201.若松駅旧構内(福岡県北九州市)2017.5

200.折尾旧駅(福岡県北九州市)2017.5

199.ワットスタンドウェル駅複線跡(イギリス・ダービー近郊)2017.4

198.ヨーク市電・トロリーバス車庫跡(イギリス・ヨーク)2017.4

197.スカーボローの廃リフト(イギリス・スカーボロー)2017.4

196.スカーボローのミニケーブルカー(イギリス・スカーボロー)2017.4

195.シルドン近郊の廃線2本(名称不詳)(イギリス・シルドン)2017.4

194.ヨーク駅構外引込線(イギリス・ヨーク)2017.4

193.スリーシティ港湾トロッコ軌道(マルタ共和国・スリーシティ)2017.3

192.マルタ市電関連遺構(マルタ共和国・スリーシティ近郊)2017.3

191.マルタ鉄道(マルタ共和国・マルタ本島)2017.2・3

190.リスボン市電・廃止区間ポルトガルリスボン)2016.11・12

189.コーク市内の貨物線(アイルランド・コーク)2016.11

188.ハーコート=ストリート鉄道(アイルランド・ダブリン)2016.11

187.ギネス工場ビール運搬軌道(アイルランド・ダブリン)2016.10

186.チューリッヒ市内の支線(名称不詳)(スイス・チューリッヒ)2016.7

185.チューリッヒ市内の貨物線(スイス・チューリッヒ)2016.7

184.ブロードストーン駅(アイルランド・ダブリン)2016.6

183.ホウス丘電気軌道(ホウス駅付近)(アイルランド・ダブリン)2016.6

182.神戸港貨物支線(中央市場付近)(兵庫県神戸市)2016.3

181.阪堺「住吉公園線」(大阪府大阪市)2016.3

180.阪急洛西口地上線(京都府京都市)2016.3

179.京都市電・七条変電所(京都府京都市)2016.2

178.舞鶴線貨物支線(西舞鶴~)(京都府舞鶴市)2016.1

177.舞鶴線(東舞鶴~)(京都府舞鶴市)2016.1

176.えちぜん鉄道地上線(福井駅付近)(福井県福井市)2015.12

175.京都市電七条保線基地(京都府京都市)2015.12

174.日本電気硝子専用線滋賀県大津市)2015.11

173.山陽電鉄地上線(西新町付近)(兵庫県明石市)2015.10

172.大和鉄道(西田原本付近)(奈良県磯城郡)2015.10

171.日本無軌道電車(兵庫県川西市)2015.10

170.東海道線旧線(神崎川橋梁)(大阪府大阪・吹田市)2015.9

169.有馬線(三田付近)(兵庫県三田市)2015.9

168.鷹取工場跡(兵庫県神戸市)2015.9

167.愛宕山鉄道平坦線(京都府京都市)2015.9

166.5.阪急嵐山線複線跡(京都府京都市)2015.9

166.阪急梅田旧駅(大阪府大阪市)2015.9

165.近鉄旧生駒トンネル(大阪府東大阪市)2015.8

164.紀伊中ノ島連絡線(和歌山県和歌山市)2015.8

163.敦賀港線(福井県敦賀市)2015.8

162.旧敦賀駅福井県敦賀市)2015.8

161.南海平野線(大阪府大阪市)2015.7

160.梅田貨物駅大阪府大阪市)2015.5

159.筑後軌道(亀山橋付近)(大分県日田市)2015.3

158.宇佐海軍航空隊引込線(大分県宇佐市)2015.3

157.山陽電気軌道(山口県下関市)2015.3

156.鹿児島市電・高麗町車庫旧連絡線(鹿児島県鹿児島市)2015.1

155.西鉄福岡市内線筥崎宮付近)(福岡県福岡市)2015.1

154.西鉄北九州線(黒崎付近)(福岡県北九州市)2014.11

153.京山ロープウェイ(岡山県岡山市)2014.10

152.京都電気鉄道・高瀬川橋台(五条付近)(京都府京都市)2014.9

151.京都市電・各所遺構(京都府京都市)2014.9

150.和田岬線貨物支線(兵庫県神戸市)2014.9

149.京阪京都地上線(京都府京都市)2014.8

148.京都市電・七条大橋レール(京都府京都市)2014.8

147.佐賀線・筑後川橋梁(佐賀県佐賀市)2014.8

146.志免線(旧志免駅付近)(福岡県糟屋郡)2014.7

145.西鉄宮地岳線西鉄新宮駅付近)(福岡県糟屋郡)2014.6

144.西濃鉄道廃止区間岐阜県大垣市)2014.4

143.近鉄東信貴ケーブル(奈良県生駒郡)2014.3

142.信貴山電鉄山上鉄道線(奈良県生駒郡)2014.3

141.福知山線旧線(生瀬~武田尾)(兵庫県宝塚市)2014.3

140.シドニーモノレール(オーストラリア・シドニー)2014.3

139.東海道本線・旧逢坂山トンネル(滋賀県大津市)2014.2

138.日豊本線・旧二ノ尾トンネル(大分県杵築市)2014.2

137.三井三池鉄道(福岡県大牟田市)2014.2

136.添田線(一本松~上伊田付近)(福岡県田川市)2014.1

135.呼野駅スイッチバック(福岡県北九州市)2014.1

134.上山田線(上山田~熊ヶ畑トンネル)(福岡県嘉麻市)2014.1

133.漆生線(福岡県嘉麻市)2014.1

132.大分交通宇佐参宮線・宇佐八幡駅跡(大分県宇佐市)2014.1

131.熊本電鉄廃止区間熊本県合志市菊池市)2013.12

130.幸袋線(小竹~目尾)(福岡県飯塚市)2013.12

129.筑豊本線・旧遠賀川橋梁(鯰田~小竹)(福岡県飯塚市)2013.12

128.門司港貨物線(福岡県北九州市)2013.12

127.苅田港線(福岡県京都郡苅田町)2013.12

126.東中津貨物線(大分県中津市)2013.12

125.鶴崎港線(大分県大分市)2013.12

124.大分交通別大線(大分県別府市大分市)2013.11

123.豊後森機関庫(大分県玖珠郡)2013.11

122.日豊本線旧線(東別府~西大分)(大分県別府市)2013.11

121.日豊本線旧線(豊後豊岡~亀川)(大分県別府市)2013.11

120.ベルリン市電廃止区間(ドイツ・ベルリン)2013.9

119.旧大社線大社駅(島根県出雲市)2013.1

118.龍門駅近辺・揚平旧線(韓国・ソウル近郊)2012.12

117.臨津江複線・橋梁跡(韓国・京畿道波州市)2012.12

116.愛・地球博・会場内IMTS線(愛知県長久手市)2012.9

115.香椎線西戸崎貨物線(福岡県福岡市)2012.6

114.日豊本線・大分地上線(大分県大分市)2012.5

113.西鉄北九州線折尾駅跡)(福岡県北九州市)2012.2

112.大分港臨港線(大分県大分市)2011.5

111.別府国際観光ロープウェイ(大分県別府市)2011.3

110.桃花台新交通(愛知県小牧市)2011.3

109.日本モンキーパーク遊覧鉄道(愛知県犬山市)2011.3

108.箱館山ロープウェイ(滋賀県高島市)2010.8

107.西武安比奈線(埼玉県川越市)2010.1

106.名鉄モンキーパークモノレール線(愛知県犬山市)2009.12

105.長崎本線廃止区間長崎県長崎市)2009.9

104.ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道ケーブルカー区間(スイス:ベルン州) 2009.8

103.別子銅山第三通洞周辺軌道(愛媛県新居浜市)2009.3

102.三木鉄道兵庫県三木市)2009.1

101.びわ湖バレイカーレーター(滋賀県大津市)2008.12

100.くりはら田園鉄道宮城県登米市栗原市)2008.3

99.近江鉄道旧線(米原フジテック前)(滋賀県米原市)2007.10

98.伊豆箱根鉄道駒ケ岳鋼索線(神奈川県足柄下郡)2007.3

97.屋島登山鉄道香川県高松市)2007.1

96.六甲登山架空索道(兵庫県神戸市)2007.1

95.栗原電鉄細倉鉱山貨物線(宮城県栗原市)2006.12

94.中国稲荷山鋼索鉄道岡山県岡山市)2006.12

93.ユニチカ・カルピス工場引込線(岡山県総社市)2006.12

92.日本食糧倉庫引込線(二条駅南)(京都府京都市)2006.12

91.ユニチカ宇治工場引込線(京都府宇治市)2006.11

90.長岡京引込線(名称不詳・東方面)(京都府長岡京市)2006.11

89.加悦鉄道(京都府与謝郡)2006.11

88.陸軍黄檗火薬工場引込線(京都府宇治市)2006.10

87.JR富山港線(富山~奥田中学校前)(富山県富山市)2006.7

86.名鉄美濃町線(新関~美濃)(岐阜県美濃市)2006.7

85.名鉄小牧線旧線(味鋺上飯田)(愛知県名古屋市)2006.6

84.名鉄知立連絡線(愛知県知立市)2006.6

83.名鉄三河線廃止区間「海線」(愛知県碧南市)2006.6

82.名鉄三河線廃止区間「山線」(愛知県豊田市)2006.5

81.坂出港臨港貨物線(香川県坂出市)2006.5

80.自衛隊小牧基地引込線(愛知県春日井市)2006.5

79.名鉄八百津線(岐阜県可児市加茂郡)2006.5

78.神戸港貨物線(兵庫県神戸市)2006.4

77.名鉄谷汲線岐阜県揖斐郡)2006.4

76.名鉄揖斐線岐阜県揖斐郡岐阜市)2006.4

75.名鉄美濃町線(徹明町~関)(岐阜県岐阜市美濃市・関市)2006.4

74.名鉄田神連絡線(岐阜県岐阜市)2006.3

73.名鉄岐阜市内線(岐阜県岐阜市)2006.3

72.名鉄竹鼻線廃止区間・江吉良付近地上線(岐阜県羽島市)2006.3

71.東レ滋賀事業所引込線(滋賀県大津市)2006.3

70.国鉄東海道線草津天井川トンネル(滋賀県草津市)2006.2

69.南海天王寺支線(大阪府大阪市)2006.1

68.JR片町線旧線(京橋~片町)(大阪府大阪市)2006.1

67.国鉄川端貨物線(奈良県五條市)2006.1

66.南大東島サトウキビ貨物鉄道(沖縄県島尻郡)2005.12

65.城東貨物線 地上線・久宝寺短絡線跡(大阪府東大阪市)2005.12

64.大阪東部市場引込線(大阪府大阪市)2005.12

63.近鉄志摩線旧線(三重県鳥羽市志摩市)2005.12

62.京阪京津線旧々線(東山三条~蹴上)(京都府京都市)2005.11

61.北大阪急行電鉄廃止区間大阪府吹田市)2005.11

60.阪神本線旧線(出入橋~野田)(大阪府大阪市)2005.11

59.大阪港臨港貨物線(大阪府大阪市)2005.10

58.阪神武庫川線廃止区間(兵庫県西宮市)2005.10

57.阪急天神橋駅跡(大阪府大阪市)2005.10

56.阪神甲子園駅跡(兵庫県西宮市)2005.10

55.南海高野線旧線(和歌山県橋本市)2005.9

54.東京都電芝浦工場引込線(東京都港区)2005.8

53.京都市電伏見線(京都府京都市)2005.7

52.兵衛旅館向陽角ケーブルカー(兵庫県神戸市)2005.7

51.国鉄福知山線旧線(塚口~尼崎)(兵庫県尼崎市)2005.7

50.京都市電北大路線(京都府京都市)2005.4

49.別子銅山坑道軌道(マイントピア別子入口付近)(愛媛県新居浜市)2005.4

48.名鉄JR高山本線連絡線(岐阜県各務原市)2005.3

47.日本モンキーパークケーブルカー(愛知県犬山市)2005.3

46.大谷鉱山坑道軌道(大阪府豊能郡)2005.1

45.沖縄電気軌道(橋脚跡・都ホテル付近)(沖縄県那覇市)2004.12

44.沖縄県営鉄道沖縄県糸満市)2004.12

43.愛宕山鉄道鋼索線京都府京都市)2004.12

42.叡山空中ケーブル(ロープウェイ)(京都府京都市)2004.11

41.妙見鋼索鉄道上部線(大阪府豊能郡)2004.11

40.能勢電鉄国鉄前線(兵庫県川西市)2004.10

39.能勢電鉄旧線(兵庫県川西市)2004.9

38.よみうりランドモノレール(東京都稲城市)2004.8

37.東急東横線旧線(神奈川県横浜市)2004.8

36.近江工業長岡工場引込線(滋賀県米原市)2004.7

35.大阪セメント伊吹工場貨物線(滋賀県米原市)2004.6

34.小田急向ヶ丘遊園モノレール(神奈川県川崎市)2004.5

33.別子鉱山鉄道(新居浜港線・新居浜駅連絡線)(愛媛県新居浜市)2004.3

32.箕面スパガーデンケーブルカー(大阪府箕面市)2004.2

31.比叡山人工スキー場リフト(京都府京都市)2003.11

30.下津井電鉄茶屋町~児島)(岡山県倉敷市)2003.10

29.北沢産業網干鉄道(兵庫県姫路市)2003.7

28.紀州鉄道廃止区間和歌山県御坊市)2003.6

27.大和紡績工場引込線(和歌山県御坊市)2003.6

26.有田鉄道和歌山県有田郡)2003.5

25.別子鉱山第四通洞軌道(愛媛県新居浜市)2003.4

24.別子鉱山鉄道下部線(愛媛県新居浜市)2003.4

23.京阪・奈良電連絡線(京都府京都市)2003.2

22.京都市電稲荷線(京都府京都市)2003.1

21.蹴上インクライン京都府京都市)2002.12

20.京阪京津線旧線(京都府京都市)2002.12

19.京都市北野線京都府京都市)2002.10

18.京福電鉄北野線廃止区間京都府京都市)2002.10

17.国鉄相模線西寒川支線(神奈川県高座郡)2002.9

16.横浜港臨港貨物線(神奈川県横浜市)2002.9

15.国鉄手宮線(北海道小樽市)2002.8

14.姫路モノレール(兵庫県姫路市)2002.8

13.京都市電蹴上線(京都府京都市)2002.7

12.南海和歌山港線廃止区間和歌山県和歌山市)2002.7

11.国鉄奈良線旧線(伏見駅付近)(京都府京都市)2002.6

10.伏見インクライン京都府京都市)2002.6

9.京都市電大宮線(大宮陸橋)(京都府京都市)2002.6

8.叡山電鉄複線跡(二軒茶屋~市原)(京都府京都市)2002.6

7.京都市電外周線(東福寺陸橋)(京都府京都市)2002.6

6.米軍相模原総合補給廠引込線(神奈川県相模原市)2002.6

5.横浜ドリームランドモノレール線(神奈川県横浜市)2002.6

4.桜宮駅付近の倉庫内運搬軌道(大阪府大阪市)2002.5

3.城東貨物線淀川貨物駅引込線(大阪府大阪市)2002.5

2.関西鉄道桜宮線(大阪府大阪市) 2002.5

1.下津井電鉄(児島~下津井)(岡山県倉敷市)2002.5