【未成線】若草山登山電気鉄道を歩く(奈良)
~ 近くて低い中腹まで15段スイッチバック! 驚きの山岳電車 ~
草原に覆われたこの山への登山は、基本的に徒歩に限られるため、これまで幾つもの登山交通機関が計画されてきたことは、先に書いた三笠山エスカレーターの記事でも紹介した通りである。
そんな若草山に企てられてきたのは、エスカレータやケーブルカー、近年の簡易モノレールだけでなく、普通鉄道による登山電車の計画も存在していた。若草山登山電気鉄道である。
★ 概要と歴史 ★
路線名の原表記は「嫩草山登山電気鉄道」。「嫩草山」は旧字表記だが読みは同じである。既知の通り常用外の漢字が含まれているため、本記事では便宜上、現代表記の「若草山登山電気鉄道」で原則統一する。
大正11(1922)~ 14(1925)年頃の計画である。
(※上図中の当路線の線形はデフォルメであるため、実際の線形とは異なる。)
若草山麓部の北方に引かれた路線計画で、山麓から最初の中腹である一重目まで至るものである。
この路線も、山自体が近鉄奈良駅などの鉄道駅からは離れているため、接続する鉄道路線は無い。
この路線の第一の特徴は、上の図面からも分かる通り、そのジグザグな線形。
先述の通り、麓から一重目までを結んでいるのだが、その起点から終点まで、何と15段ものスイッチバックを設けているのである。
若草山の一重目といえば、麓からの直線距離はおよそ300m。なおかつその一重目の標高は、およそ250m(国土地理院 地理院地図(電子国土Web)での計測およびデータに基づく)。
そのように麓から近く、なおかつ標高も低いところまで、スイッチバック15段、実に14ヶ所もの折り返し地点を設けて、わざわざ普通鉄道で登ろうとしていたのである。
ただ、線形に関しては、ジグザグを採用したのには理由がある。
当時の文書に記されていた内容の要旨としては、景観上重要な風致地区であるゆえに、それに悪影響を及ぼす一直線状の線路よりも、斜面を松葉状(ジグザグ)に登る線路の方が、山林などで外から線路が目立ちにくく、悪影響が少ないため、としている。
それに加え、線路敷設後はその両側の空きスペースに更に植樹を行い、より線路を目立ちにくくする、ともしている。
果たしてそれで若草山の景観や風致への影響が本当に少ないのか疑問に思えてきそうだが、この点が後の敷設免許の認否にも影響してくる。
-路線データ-
●距離:約1.6km
●軌間:1067mm
●動力:電気(架空単線式)
●線数:単線
●駅数:3(起終点含む)
●備考:山麓に変電所を設置(直流100kw変圧器)
実のところ、この路線計画は、このように近くて低い場所までの短い登山電車で終わらせる予定だったのかといえば、そうではなかった。
免許出願の段階で、第2期線として、延伸計画も想定していたのである。
(※上図の出願線の線形もデフォルメであるため、実際とは異なる。また2期線の矢印は、路線計画の大まかな向きを示したものである。)
文書によれば、将来は一重目の終点(山上駅)より北東に二重目(2番目の中腹)の谷間を這い、三重目(山頂)の北方谷間に出て終点に至る、となっている。
また、これだけに留まらず、三重目の先の終点に達した折には、その周辺の閑静で広大な土地を開拓し、住宅建設や様々な社会的施設の設置を行う、とも述べられている。
若草山の頂上まで達して単に登山や観光に資するのみならず、大手私鉄のような副業的な事業まで目論まれていた、ということが分かる。
ただこれに関しては、あくまで今回の出願線開業後に事業着手するとして触れられていただけで、図面などの具体的計画とまでは特に至っていなかったようである。
-略史-
●大正11(1922)年:敷設免許を申請
●大正14(1925)年:出願が却下される
却下理由としては「技術上ならびに風致上、通常ではないものと認められるため」となっている。
やはり景勝地内の斜面をジグザグに進むという点や、近くて標高の低い箇所に登るために幾段ものスイッチバックを設けるという点は、現実味において大きなハンデとなったようである。
↑各駅及び路盤の横断面図。駅や路盤がどのような構造で造られる予定だったかがよく分かる。駅の構造については以下の項目でも個別に紹介している。
★ 未成線を歩く ★
・現地踏査時期:2017年10月
-山下駅-
↑上の横断面図の縦線は軌道中心位置(以下同)。つまり、単線式の駅として設定されていた事が分かる。
【ア】右側のスペースが駅予定地なのだが、やや手狭な感じはする。駅を出た線路は、中央の道の奥の方で交差する。
【イ】この地点からしばらく、森の中を直進するように進んでいく。この辺りの勾配は比較的緩やかである。
-二本松駅-
↑軌道中心位置の線が2本あるため、複線式の駅である。実際、ここは途中の行き違い駅として想定されていた。
【ウ】現在の登山道の下辺りの斜面に駅が予定されていたようだが、矢印の先あたりだろうか。周りには駅名の「二本松」を思わせるものは何もない。
-山上駅-
【エ】山上駅に入る手前の地点(山下方を望む)。登山道のすぐ右側に並行して線路を敷設予定。ひょっとしたらこの道のすぐ横を、電車が唸りを上げながら登り降りしていたかもしれない。
↑山上駅は山下駅と同様に、単線式の駅である。
【オ】中央の木の生えている辺りが、山上駅予定地だろうか。眺望の良い草原地の中に位置する駅は、その風流さと共に賑わいを見せていたことだろう。
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奈良の名所・若草山は、景勝地として名を馳せてきた分、何人もの人が徒歩登山に不便を感じ、その何人かは登山交通を企ててきた。
しかし、いずれも風致地区であることがあまりに大きな壁となり、企てられたものは実現してこなかった。
これは、若草山登山電気鉄道を含めた大正末期・昭和初期から、簡易モノレールが構想されたここ数年の現在まで、長きに渡り不変となってきたものである。
それゆえ、若草山は閑静で落ち着いた風情を、現在まで保ってくることが出来た。
それでも、仮に本記事の鉄道計画が実現していたとすれば、スイスの小さな登山電車のようなものが、近距離で標高の低い場所まで、幾度もスイッチバックしながら時間をかけて登るという、珍妙な光景が若草山で見ることが出来たかもしれない。
風情ある場所を原状のままで保存していく事は大切だが、あながち見過ごせない不便さを解決するには非常に限られた条件をクリアしなければならず、風情と利便性の両立は難しいものである。
★ 参考文献 ★
●鉄道省文書『嫩草山登山電気鉄道敷設願却下ノ件』(大正14(1925)年、国立公文書館蔵)
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000000384807
(記事中の原図面は全てこの文書より引用。また一部の路線地図はそれらの原図面に加筆等して作成。)
その他ウェブサイト若干
【未成線】三笠山エスカレーターを歩く(奈良)
~ 風変わりな名称に全線地下式! 若草山のケーブル計画 ~
木が茂っておらず草原地のようになっているこの山は、自然景勝地となっているだけでなく、山の上から奈良市内を望める眺望や、毎年冬に行われる山焼きもあり、奈良市における代表的な観光地となっている。
この若草山、上まで行くためには、特に中腹辺りに行く場合、基本的に歩いて山を登らなければならない。所によっては登山道が急な場所も少なくなく、何らかの登山交通が欲しい気持ちになっても不思議はない。
このため若草山には、これまで登山交通機関が幾度も計画されてきた。今回取り上げるのは、その中でも特に特徴的な計画である、三笠山エスカレーターである。
★ 概要と歴史 ★
路線名や社名には「エスカレーター」とあるが、実際に計画されていたのはケーブルカーであった(このような名称となった背景については、後々の項目で詳しく述べる)。
おおよそ大正15(1926)~昭和3(1928)年頃に存在した計画である。
山麓から最初の中腹である一重目までを結ぶもので、麓から一直線に山上へ向かうルートとなっていた。
若草山自体が市街中心部から少々離れていることもあり、現在の近鉄奈良駅からは離れており、当然接続する鉄道路線も無しとなる。
ここで一つ目の特徴として挙げておきたいのが、このケーブルカーは全線を地下で通す予定だった点である。
乗降場から行違い設備、機械室に至るまで、全ての施設を若草山の地下トンネルに収め、山麓と山上それぞれに地下駅への出入口を設けることとしていたようだ。
また、行違い部分については上の図面を見ると、単線並列式のトンネルで造ることになっていた。
-路線データ-
●種別:鋼索鉄道(ケーブルカー)
●距離:192m
●軌間:1067mm
●枕木:木製
●勾配:水平24度
●線数:単線
●駅数:2(起終点)
●架線:第三軌条のような形で架設
●トンネル
◎幅員:3.2m
◎高さ:3.7m
●運転速度:時速5.6km(3.5マイル)
ここで注目されるのが、その路線距離や運転速度。
全長僅か192mとは、何故わざわざそんな短いケーブルカーを造ろうとしたのか、疑問に思えてきそうな距離だが、このような短さになった理由は「エスカレーター」と付いた路線名および社名に、その秘密が隠されているようである(後の項で詳細を述べる)。
また、運転速度がおよそ時速5km強というのも、やや遅いような感じがしてしまう。
なお、文書や図面のどの箇所を見回しても、駅名となるものが見当たらなかったため、駅名は特に設定されていなかったようである。
-車両-
この計画では車両についても細かく設定されており、文書内の説明書や図面にその詳細が書かれている。
説明書および上の図面によれば、車両は屋根無しのオープン式、各ボックスシートに乗降扉を設ける、木造車とすることとしていた模様である。
詳細な車両データは以下の通り。
●積載重量:5.45トン
●定員:100人
●座席数:17脚
●長さ:約13.2m
●幅員:2.78m
●床面積:24.4平方m
●車体重量:約5トン
そして、この路線計画でもう一つ特徴として挙げられるのが、その計画の綿密さである。
本記事に掲載している図面や原資料内の説明書、そして本文で記してきた詳細なデータからも分かるように、路線の細かな部分まで、技術的事項などが詳細に設計・想定されているのである。
予め説明しておくと、この計画は免許申請の段階で却下されており、鉄道敷設免許は交付されなかった。
加えて、敷設免許が交付される前の未成線や、却下された鉄道計画においては、予測平面図および縦断面図の作成や、軌間・動力・電車なら電力受給者の想定などが最低限行われるくらいで、路盤・軌道・車両などの詳細な技術設計は、免許交付前の段階では行われないのが常である。
そんな中でこの三笠山エスカレーターは、免許出願の段階で各設備の細かい設計や技術的想定を行っており、また後々に掲載している路線の平面図も「予測」ではなく「実測」となっている。
さらに、原資料内に掲載されている説明書においても、安全装置や電気設備などの技術的説明が、本記事に掲載していない部分まで事細かに記されている。
免許申請の時点でわざわざここまで細かい仕様・設計詳細を立て、国に提出している様子を見ると、推し量るにこの計画が当時どれだけ気合の入ったものだったか、まるで関係者の情熱が伝わってくるかのようである。
上の図面も設備の詳細な設計の一つ、山上の機械室に設置予定だった、車両巻揚機の図面である。
どういうわけか、図面の右下のタイトル部分が、白く塞がれている。
巻揚機の電動機(モーター)部分のデータも以下に抜粋しておこう。
●電流:三相交流式
●電圧:220V
●出力:80馬力
●回転数:毎分900
- 何故ケーブルカーなのに「エスカレーター」?-
この計画の路線名(社名)を見て「何で名称が『エスカレーター』?」「変わった名前だな…」と思う人も多いかもしれない。
実は、これにもちゃんと理由がある。
元々は、文字通りエスカレーター(電動階段)で造る予定だったのである。
敷設免許申請書の内容を要約すると、
「(距離や全線地下式という点は同じとして)自動階段(エスカレーター)を当初は設置することとし、その許可が奈良県知事から下りた後は、直ちにその設計に基づき、諸外国や内地各製造所の協力を仰ぐとしたものの、いかんせん他に前例の乏しい計画のため、その設計において安全確実とするものを入手することが出来ず、価格面における問題もあったため、止むを得ず鋼索鉄道(ケーブルカー)に変更することとした」
といった趣旨が記されている。
このような流れを見てみると、路線名(社名)の「エスカレーター」や、ケーブルカーにしてはかなり短い路線距離にも、納得がいく。
日本において最初のエスカレーターが登場したのは、大正3(1914)年、東京の三越呉服店でのこと。
また、現代の日本において最長のエスカレーターとなっているのは、香川県にある「マジックストロー」(全長96m)や、和歌山県のホテル浦島のもの(3基乗継で全長154m)。
計画時の昭和ヒトケタの頃の基準で考えても、エスカレーター自体当時はまだ最新鋭かつ最先端の装置で、極めて稀有な設備であったことは想像に難くない。
また現代ですら、全長100mを超えるエスカレーターの数は決して多くはなく(1基単独となれば尚更である)、技術的なハードルは低くはないと見られる。
ゆえに当時からすれば、全長200m弱のエスカレーターを造るのが決して容易ではなかったのも無理はないが、それでも奈良の若草山という景勝地に、当時最先端の昇降装置を導入しようとした「ハイテク・プロジェクト」の事実には、驚きとロマンを感じさせられる。
計画がケーブルカーに変わってもなお、免許申請の段階で路線の綿密な設計を用意したという点からも、若草山に画期的な乗り物を造りたい、という関係者の熱意は、相当なものだったのかもしれない。
そのような経緯で計画は電動階段からケーブルカーへと変更されたが、それでも路線名(社名)に「エスカレーター」の語が据え置かれたのは、先述の通りまだ電動階段の方は一般的ではなく、また語感の斬新さもあったのか「エスカレーター=上昇装置」という広義で解釈し、前途の会社の背景も加わって、そのままにされたのであろう。
ただ、日本においては明治33(1900)~昭和25(1950)年の間、「エスカレーター」という語は商標登録されていたため、果たして路線名や会社名のネーミングにおいて商標権上の問題は生じなかったのか、少々疑問は残るところである。
↑ 原資料内の路線平面図。出願時に提出されたものだが、「予測」ではなく「実測」となっている。
ちなみに、若草山には同じ頃「三笠鋼索鉄道」という計画も存在していたが、こちらは当計画との競願などを理由に、昭和2(1927)年頃、免許申請が却下されている。
-略史-
●大正15(1926)年頃:若草山にエスカレーター(自動階段)を計画
当計画の資料および上記の三笠鋼索鉄道の資料によれば、この段階で既に奈良県側からは許可がされていたようである。
●昭和2(1927)年:計画をケーブルカーに変更
● 同 年 :敷設免許を申請
●昭和3(1928)年:出願が却下される
理由としては「三笠山(若草山)は勾配が緩く少年や婦人ですら楽々と登山出来得る所であるだけでなく、本地域は史跡・名勝・天然記念物保存法による指定地であるため」としている。
これには、内務次官からの「史跡・名勝・風致保存上、大いに弊害を引き起こし得る」という内容のネガティブな照会が、大きな決め手となったようだ。
やはり、その距離の短さが事実上仇となったのみならず、若草山一帯の名勝保存指定という壁が、非常に分厚いものだった模様である。
ただ、距離という点だけに関して言えば、山麓から結ぶ先が一重目(最初の中腹)だけでなく、二重目や三重目(山頂)まで達していれば、計画としてはもう少し存在意義を発揮できていたのではないか、とも思う。
★ 未成線を歩く ★
・現地踏査時期:2017年10月
【ア】山麓側の駅が予定されていた場所。手前付近に出入口が設けられ、奥の木標と2本の木の背後辺りに地下駅が設けられる予定だったのだろうか。
【ア】同地点の地下駅予定地付近より。赤線内を直進するように、山上に向かって地下を登っていく予定だった。
【イ】柵の向こう側エリアの地下が、ケーブルのルート。写真中央付近が、行き違い設備の位置に当たる。
【ウ】山上側の駅の予定地。奥の赤枠が広くなっている付近に、駅関連の地下施設が予定されていたと見られる。現在周囲は閑静な自然公園だが、実現していればこの辺りには茶店や土産店が並ぶなど、状況は様変わりしていたであろう。
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若草山に鉄道を含む登山交通機関を敷設するという計画は、昭和初期前後の鉄道敷設ブームで終わったかといえば、そうではなかった。
しかも、現代の21世紀になって、新たに浮上したのである。
それは農業用のモノレールを旅客輸送用に改造し、麓から一重目(最初の中腹)まで敷設しようというものだった。
これは、近年の若草山の登山客(観光客)減少の傾向に伴い、奈良県がその策として企画した「構想」である。
だが、若草山近辺は本記事でも述べてきた通り、保護区域となってきた場所。しかも、隣接する春日山原始林は、今や世界遺産にまで登録されている。
そのためこの構想は物議を醸し、反対運動も発生。ついには、国連のイコモス(国際記念物遺跡会議)の日本国内組織が、懸念を表明する事態にまで発展した。
これを受け奈良県側は、平成26(2014)年に構想を白紙撤回。代替案を検討するとし、モノレール構想は頓挫することとなった。
このように昔から現在まで、変わらず手厚く保護されてきた若草山。
名勝保護という分厚い壁は、鉄道を計画する側においては到底破れないものであり、またそのような護りがあるからこそ、若草山は現在まで、風情ある景勝地であり続ける事が出来た。
ゆえに、いかなる計画においても、若草山に鉄道が敷設されるというのは起こり得ない事ではあったのだが、仮に本記事の計画が実現していたとすれば、エスカレーターという「ハイテク装置」、またはケーブルカーという短距離鉄道が、景勝地の地下トンネルを進行していくという、ユニークな光景が見られたかもしれない、というロマンには掻き立てられる。
だがその一方で、そうなったとすれば、三笠山エスカレーターの周辺には飲食系の店や土産店などの観光系施設がひしめくようになり、今あるような若草山の風情はかなり失われていたかもしれない、という点も否めない。
鉄道ファンとしての惜しい気持ちもある一方、自然名勝地としての風致が乱されるのも如何なものかというのもあり、なかなか複雑な気持ちにさせられる。
★ 参考文献 ★
●鉄道省文書『三笠山エスカレーター会社鋼索鉄道敷設却下ノ件』(昭和3(1928)年、国立公文書館蔵)
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000000385020
(※記事中の原資料は全て上の文書より引用。)
●一般社団法人 日本エレベーター協会 「エスカレーターの歴史」(ウェブサイト)
http://www.n-elekyo.or.jp/encyclopedia/history/escalator.html
●産経新聞「世界遺産の価値>利便性 若草山の登山用モノレール構想白紙 奈良県が代替案検討へ」(2014.6.1)
http://www.sankei.com/west/news/140601/wst1406010044-n1.html
●鉄道省文書『三笠鋼索鉄道敷設願却下ノ件』(昭和2(1927)年、国立公文書館蔵)
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000000384914