幻鉄RAMBLER

~ 未成線・海外鉄道・廃線跡のリポート ~

【未成線】大別府ケーブル鉄道を歩く(大分)

~ 湯の街・別府の南西部、知られざるケーブル計画 ~

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九州が誇る温泉の街、大分県別府市

ここには歴史上、少なくとも4つのケーブルカーが計画されてきた。

うち1つは、ラクテンチケーブルとして実現し、現在も運行されている。

 

これまで計画されてきたこの4つのケーブル計画の中で、今回は特に殆ど知られていないと思われるものを紹介する。大別府ケーブル鉄道である。

 

★ 概要と歴史 ★

この路線は、別府市南西部の、朝見地区から小鹿山付近に至るルートで計画されたもの。

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(※上図は計画線の場所を大まかに示したものであり、実際の線形とは異なる。)

 

-路線データ-

●種別:鋼索鉄道(ケーブルカー)
軌間1067㎜(原資料の「三尺六寸」=3ft6in)
●距離:約2.2㎞(1マイル 37チェーン)
●駅数:
 ◎山麓朝見駅
 ◎山頂:小鹿山駅
●需要予測:27万100人/年

 

上記の距離データが示している通り、その路線距離は長大なもので、京都にかつて存在し東洋一と謳われた、愛宕山ケーブル(2.0km)をも上回るものであった。

 

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なお、同じ別府にはかつて、名称が非常によく似た別府ケーブル鉄道という計画が存在していたが、こちらは別府市大分郡八幡村(位置的に高崎山と思われる)の1.6kmに計画され、敷設免許も取得(大正15〈1926〉年~昭和3〈1928〉年)していたもので、当ケーブル計画とは全く別のものである。

 

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また、このケーブル計画は、単に麓から山に登って終わりというわけではなく、小鹿山の近隣に位置する、志高湖一帯のリゾート開発とセットになって目論まれていた。

当時の文書に記されていた、開発計画を列挙していくと、

外国人用ホテル
ゴルフ場
文化住宅
湖畔別荘
キャンプ場
競技用諸設備
一大遊覧所(遊園地か?)

このように幾つもの施設が造られるとされており、これだけ見ればかなり大々的なリゾート計画が目論まれていたことが分かる。

つまり、このケーブル計画の真の狙いは、別府の奥地に位置する志高湖一帯をリゾートとして観光地化し、そのために別府の街から志高湖までのアクセスの便を確保しよう、というものだったことになる。

 

-略史-

昭和2(1927)年:敷設免許を出願
計画自体はこの年から本格的にスタートしているのだが、後に監督の鉄道省に対し書類の再提出を行っているようで、そのためか省での受け付けは昭和6(1931)年となっている。

また同時期には、ほぼ同一ルートでの競願路線を申請する者が現れたそうだが、そちらは書類の不備により取り下げとなっている。

昭和6(1931)年:出願が却下される
その理由として文書には「目下のところその必要なしと認められるため」とだけ書かれている。

文書の最初の方には、成功の見込みあり、といった趣旨が記されていたにも関わらず、不要不急扱いとなり、理由も普通は具体例を挙げたりして、論理的に説明されるものが、この路線の場合は単に「不必要」とだけされている点は、随分と素気ない突き放され方をしているような印象を受ける。

 

こうして、この会社によるリゾート計画と一体になったケーブル計画は、ここで幻に終わってしまったのである。

 

未成線を歩く ★

(※今回も関西から別府まで足を運ぶのは、遠方で難しかったため、現地状況はGoogleマップ等で代用する。)

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( ↑ ※原資料に加筆して作成。下が北上が南である。)

 

朝見駅が予定されていた場所。中央の別府発電所の裏側辺りがおおよその駅位置。発電所からパイプラインがかなりの急勾配で登っているが、ケーブルはその左横をもう少し緩やかな勾配で登る予定だったはずである。

 

小鹿山駅が出来る予定だった場所を、現在の地図の航空写真で示すとこの辺りになる。右上が朝見方面。この近くには神楽女湖や自然の家おじか があるが、ケーブルが出来てリゾート開発がされていたら、また違った様子になっていたかもしれない。

 

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戦前のこの志高湖開発プロジェクトは幻に終わってしまったものの、戦後、ラクテンチなどの手によって、志高湖近くに新たな遊園地「志高ユートピア」が造られ、ケーブル→リフト→ロープウェイ…と乗り継いで、別府の麓から志高湖まで行けるようになり、志高一帯の観光開発は一度実現している。

だが、これも平成10(1998)年までに、リフト・ロープウェイ・志高ユートピアの3つが廃業となっている。

 

志高湖のリゾート開発と共に、事実上 新たな東洋一のケーブルを目指すも、不要という理由だけで夢破れてしまった、大別府ケーブル鉄道。

しかし、仮に実現していたとしても、後の大戦により不要不急線として撤去されていたかもしれないし、あるいは戦後になっても、上記のロープウェイやリフトと同じような運命を辿っていたかもしれない。

実現していれば面白かっただろうとは当然思えてくるが、かといって事業が本当に成功し得たのかは、少々微妙なものがある。

 

★ 参考文献 ★

鉄道省文書『大別府ケーブル鉄道敷設願却下ノ件』(昭和6〈1931〉年、国立公文書館蔵)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F0000000000000047446&ID=M0000000000000385183&TYPE=&NO=

(※記事中の原資料は全てこの文書より引用。)

森口誠之『鉄道未成線を歩く 私鉄編』(JTB出版事業局、2001年)

Wikipediaラクテンチ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%81#.E6.B2.BF.E9.9D.A9

 

その他ウェブサイト、書籍等若干