幻鉄RAMBLER

~ 未成線・廃線跡・海外鉄道リポート ~

【未成線】再度山鋼索鉄道を歩く(神戸)

~ オシャレな街の傍らひっそり潰えたケーブル計画 ~

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神戸といえば、オシャレな街のイメージが強い。

三宮より北の場所に位置する北野地区は、その「オシャレな神戸」のイメージを代表する場所として名を轟かせ、観光客の人気を集めている。

近代期に日本にやって来た数多の外国人が居を構え、その当時の西洋式建築が今もなお多く残ることから、日本式の建物とはまた違った欧風の趣がある建物群は、その極めてエスニックな印象が見る者を惹き付けてくれる。

 

そのようにして異人館群が名所となり、神戸の代表的な観光地となった北野地区だが、その更に北側にそびえている山はといえば、特に観光開発はされておらず、ごく普通の落ち着いた山林が広がっているだけである。

北野地区からその北方の山の観光に向かうとしても、最寄りのロープウェイが発着している場所といえば新神戸駅付近であり、北野からは更に北の方へやや離れている。

だが、戦前に目を向けてみると、かつては北野地区のすぐ裏にそびえている山にも、山岳観光のための鉄道が幾つか計画されていた時期があった。今回は、その計画のうちの一つであった、再度山鋼索鉄道を取り上げることにする。

 

★ 概要と歴史 ★

再度山(ふたたびさん)といえば、神戸の比較的奥地にそびえる、神戸の主要な山の一つである。

このケーブルカーの計画も、路線名に「再度山」を名乗ってはいるが、実態は北野地区の裏側から、再度山のかなり手前である二本松(堂徳山)付近まで、というものであった。

昭和2(1927)~3(1928)年頃の計画である。

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山麓側の起点・北野町駅は地図の通り、現在は観光地である北野の市街地のすぐ隣。

そこから1ヶ所トンネルをくぐり、現在の山陽新幹線のトンネルの斜め上付近に行き違い設備を設け、山頂側の二本松駅に達する、という計画であった。

 

山頂の二本松駅から路線名にある再度山まではかなり距離があるが、他の交通手段による連絡を目論んでいたのだろうか。それとも、遠距離ながら徒歩連絡を想定していたのだろうか。

 

-路線データ-

●形態:鋼索鉄道(ケーブルカー)

●距離:991m

軌間1067mm

●駅数:(起終点)

 

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上は原資料の鉄道省文書内に織り込まれている、オリジナルの平面図。 

路線部分はかなりしっかりと描かれた平面図であり、トンネルだけでなく中間の行き違い設備まで描かれている。

北の方角が図面の上ではなく右となっているが、図面の右端にある再度山を含めるために、わざと倒してあるのだろうか。

 

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また、上は同じく原資料の縦断面図。

山麓付近のトンネルが描かれているだけでなく、地形の描き込みも比較的しっかりしており、さほどいい加減な図面ではないことが分かる。

 

これらだけ見ると割としっかり準備されて出願された計画のようにも見えるが、文書の他の部分を見ると、少々いい加減では?と思えるような箇所も見受けられる。

 

例えば、電力受給に関する記述においては、単に「他より供給を受けるものとする」としか書かれていない

普通このような項目では、「〇〇電気より供給を~」と、具体的な電力会社名を挙げて受給先を明示するものだが、そうでなければ、杜撰な計画だと見做されて免許申請が却下される可能性が高くなる。

この計画の発起人たちは、電力受給者を探そうとはしたものの、決定に難航し見つからないまま出願に踏み切ったのか、それとも単に計画の立て方が杜撰だっただけなのか。

いずれにせよ、このような点も、後述の出願の結果に影響したと思われる。

 

-略史-

●昭和2(1927)年:敷設免許を申請

発起人は合計8名。彼らの住所を見てみると、東京や長野などが大半を占め、兵庫県の人は殆ど含まれていない。彼らが東日本からわざわざ神戸の再度山に目を付けた経緯は何だったのか、少々気になるところである。

●昭和3(1928)年:出願が却下される

その理由としては、「既に免許された再度山登山電気鉄道の一部と(ルートが)重複するため」と述べられている。

 

そう、実は北野地区から再度山へと至る鉄道計画には、既に再度山登山電気鉄道(昭和2(1927)年免許取得、昭和9(1934)年失効)というものが存在していたのだ。

再度山鋼索鉄道の発起人たちがこの計画の存在を知ってか知らずかは定かではないが、競願となってしまったのである。

 

更に、当時の兵庫県知事からの副申においても、「申請者の資産ならびにその信用程度は低いとみられ、起業能力は不十分であると思われる」と低く評価されていることも、免許申請の可否に大きく影響を及ぼしていると考えられる。

 

おまけに付け加えるなら、時の鉄道大臣は小川平吉

全国の鉄道計画に対し免許交付を乱発し、私鉄会社に便宜を図った疑惑で、後々に疑獄事件として法廷で裁かれることになった人物だ。

それほど免許申請に対し異常に寛容だったこの鉄道大臣の下で、この計画に対しては却下を出したということは、よほど目に見えて余剰な計画というのが明らかだったに違いない。

 

発起人たちの起業能力がどうかという点はあるにしても、競合関係にあった再度山登山電気鉄道も後々に未成のまま終わっているので、もしこの計画が登場する前、あるいは消滅した後に免許申請を行っていれば、もう少し存在意義や風向きは変わっていたかもしれない。

しかし、競願などの大きな低評価を受けてしまったがために、このケーブル計画は結局、泡沫計画線の座に甘んじることとなってしまったのである。

 

未成線を歩く ★

・現地踏査時期:2018年1月

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【ア】山麓側の駅予定地近くの道。発起人たちは、この道がケーブルカーの駅へと通じる道となることを夢見ていたのだろうか。

 

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【イ】山麓野町駅予定地は、左上の赤丸付近。現在は住宅が建っている。ここから、奥に向かって山中に進んでいく予定だった。

 

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【ウ】トンネルに突入する予定だった場所は、この写真のやや左上付近。北野町駅予定地の上側より望む。

 

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【エ】天神谷の左側の斜面にへばり付くようにして、線路予定地は山上を目指していく。

 

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【オ】三宮近くの街中より、ケーブル予定地を遠望する。赤線の辺りをややカーブしながら山上を目指す線路は、実現していれば三宮の街からもはっきり見えただろう。

 

【カ】奥再度ドライブウェイの、二本松駅予定地の最寄付近。奥の階段を上って少し山の中に入っていけば、山上側の駅予定地となる。付近には同じく「二本松」という名前のバス停と、「湊川神社神苑」の石碑が。ケーブルが通っていれば、店が並ぶ賑やかな駅前になっていたかもしれない。

 

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神戸の象徴である異人館の街・北野と、奥神戸の自然のオアシス・再度山。

この二つの主要な名所が鉄道で結ばれていれば、どうなっていたかは想像に難くないだろう。

 

このケーブルカーの計画であれば、山上側の駅から再度山までこそだいぶ離れているが、なにせ北野地区の真裏から路線が発着するという好立地のこと、オシャレな街からケーブルに乗って、山の上から神戸の眺望を楽しむ・・・。そんなゴールデンルートが、北野の裏の山にも、きっと付加されていたに違いない。

加えて、三宮からの最寄りの山の観光も、ひょっとしたら現在の新神戸~布引山のロープウェイではなく、北野~再度山の鉄道といったように、別の場所が開発され栄えていたかもしれない。

 

もっとも、このケーブル計画は事業遂行能力すら怪しいと鉄道省兵庫県知事から目されたことと、競合していた再度山登山電気鉄道が免許済みだったこと、加えて後者は北野から再度山まで全て鉄道で直結する予定だったことを考えれば、実現していれば良かったのに…と考えるにふさわしいのは、むしろ再度山登山電気鉄道の方かもしれない。

それでも、山上側の駅から再度山までが相当離れているこのケーブル計画の方も、出願のタイミングさえ悪くなければ、北野の裏山の観望鉄道としてだけでも、計画としては十分機能し得たのではないかと思う。

 

ただ、再度山の方はといえば、現在では「再度公園・再度山永久植生保存地・神戸外国人墓地」の名で、国から名勝および登録記念物とされている土地。自然などの保護区域として評価されている場所なのである。

このような場所が、北野地区と一体という形で観光開発され、本来の風情と環境が削がれていたとすれば、戦前の計画とはいえそれが評価される事かどうかといえば、賛否が分かれそうである。

 

★ 参考文献 ★

鉄道省文書「再度山鋼索鉄道敷設却下ノ件」(昭和3(1928)年、国立公文書館蔵)https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000000385029

(記事中の原資料は全てこの文書より引用)

森口誠之『鉄道未成線を歩く 私鉄編』(2001年、JTB出版事業局)

Wikipedia「再度山」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E5%BA%A6%E5%B1%B1

【未成線】稲荷山鋼索鉄道を歩く(京都)

伏見稲荷に計画された幻のケーブルカー ~

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京都を代表する名所の一つである、伏見稲荷大社

全国の稲荷神社の総本社であり、壮観な千本鳥居が特に有名なこの神社は、近年では外国人に最も選ばれる日本の観光地ともなっているようで、今日では日々、境内は外国人で埋め尽くされている。

また、背後にそびえる稲荷山も伏見稲荷観光の主要な要素を成しており、千本鳥居が山中に連続しているだけでなく、山中の数々のお社を巡る点や京都の眺望を楽しむ点でも、観光客に人気を博しており、山中に数多くの茶店が営業していることからも、この地を訪れる人が如何に多いかが分かる。

 

そんな屈指の名所となっている伏見稲荷界隈だが、これだけ人気の観光地にもかかわらず、稲荷山に登る手段は専ら徒歩のみとなっている。訪れる人も多い人気の山でありながら、徒歩以外の交通手段が無いというのも、何だか不便に感じてしまう人も少なくないのではないだろうか。

このような稲荷山にも、かつては鞍馬寺や男山と同じように、ケーブルカーを敷設しようとした計画があった事は、著名な伏見稲荷界隈といえど殆ど知られていない事であろう。今回紹介するのは、そんな稲荷山の交通の便の向上を図った、稲荷山鋼索鉄道の計画である。

 

★ 概要と歴史 ★

先述の通りこの計画は、伏見稲荷大社の裏手から稲荷山の頂上までを結ぼうとしていたもの。

大正11(1922)~15(1926)年頃の計画である。

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伏見稲荷大社のすぐ裏手である(稲荷山)登山口駅から、ほぼ一直線に山頂へ向かい、稲荷山頂上付近に一ノ峰駅を設けるという計画だった。

 

接続路線および駅は、国鉄(現JR)奈良線稲荷駅や、京阪電車伏見稲荷駅、さらに計画当時なら京都市電稲荷線の稲荷電停となる。

いずれの駅も山麓側の(稲荷山)登山口駅からはやや離れているが、全て徒歩圏内にあるので、路線の接続においてはほぼ問題ないと考えて良い。

 

-路線データ-

●形態:鋼索鉄道(ケーブルカー)

●距離:約1.1km(56チェーン)

軌間1067mm

●駅数:(起終点)

 

この他にも運営会社は付帯事業として、娯楽機関の経営土地家屋の賃貸その他これらに関連した事業を営むことも目論んでいた。

 

 

一つ注目すべき点があるとすれば、その路線距離がおよそ1.1km以上と、比較的長い点である。

徒歩での登山に問題が無ければ、稲荷山は登りやすい部類の山に入り、山頂までもそれほど難なく辿り着くことが出来るだけに、この長さは少々意外な感じもする。

 

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上は鉄道省文書内に収録されている、当時の図面。

モノクロで線がやや薄くて分かりにくいが、赤丸の中に路線のルートが書き込まれている。

 

これを見ると、ケーブルカーの計画線はほぼ一直線状に描かれている。地形などの関係も考えると、少々いい加減な路線の引き方にも見えてしまうのだが、あくまで予測平面図として、敷設免許取得後により精密なルート設定をするつもりだったのだろうか。それとも、このまま本当に一直線状のケーブルを造るつもりだったのだろうか。

 

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また、上の図面は同じく鉄道省文書内に封入されている、当時の縦断面図。

 

確かに図面はあくまで「予測」ではあるのだが、これも図面としては地形の描き方がかなりいい加減な印象を受けてしまう。やはりこれも、より正確なものは敷設免許取得後に実測の図面を作ることで、取って代えるつもりだったのだろうか。

 

-略史-

大正11(1922)年:敷設免許を申請

大正15(1926)年:出願が却下される

却下理由として「本出願線は稲荷山遊覧者の便益に資そうとするものではあるが、成業の覚束が無い上に適当な計画と認められないため」と文書内では説明されている。

 

これには、当時の京都府知事の「伏見稲荷大社の裏手に起点があるため、同社参詣線としては効用が無い、(ゆえに)単に稲荷山に登るだけの遊覧線である、(敷設の場合)境内の森林を損傷し神社の尊厳を害する、(この他にも)風致上至大の関係がある」などといったネガティブな副申も大きく反映されているものと考えられる。

 

全国の稲荷神社の総本社という性質もあってかひときわ神聖視され、当時のより保守的な傾向も加わったのか、戦後にケーブルが出来た鞍馬寺石清水八幡宮のある男山のようにはいかず、伏見稲荷に登山交通を整備するという計画は、ここで幻に終わってしまった。

 

ちなみに、稲荷山にはこの他にも、稲荷山鋼索電気鉄道(原資料リンク)という別の計画も存在していた。

出願は大正10(1921)年と本記事の計画線よりも1年早く、ルートもかなり酷似している競願路線だったが、本記事の路線と同じ大正15(1926)年には敷設免許申請が却下され、共倒れとなっている。

(こちらの路線は原資料の図面が不鮮明で判読が難しかったため、当ブログではひとまず割愛することとした。)

 

未成線を歩く ★

・現地踏査時期:2018年2月

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【ア】伏見稲荷大社の本殿付近。今や日本で最も有名な観光地の一つとなり、外国人が押し寄せる日々が続いているが、この本殿の裏手辺りにケーブルカーの計画は存在していた。

 

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【イ】山麓側の(稲荷山)登山口駅予定地。神事などに使われる場所のためか立入禁止となっているが、右手の階段もケーブル乗り場に通じる道になっていたかもしれない。

 

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【ウ】駅予定地の少し上に上がった辺り。左が山麓方、右が山頂方を望む。おおよそ矢印の辺りをケーブルは通る予定だった。

 

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【エ】途中、線路予定地は千本鳥居を1ヶ所横切ることになるが、地形的に決して不可能ではないように見える。この辺りに参道を跨ぐ橋梁を架ければ、十分立体交差は出来るように思える。

 

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【オ】右手から矢印奥に向かって、直進するようにケーブル計画線は山頂を目指す。ここからしばらく、山道はケーブル計画線から離れることになる。

 

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【カ】稲荷山へ向かう道中の池から計画線を遠望。木々が茂っているずっと向こうの辺りで、ケーブル計画線は谷を越え、左上に若干見えている稲荷山に向かって、真っ直ぐ登っていく。

 

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【キ】頂上に近づく辺りで、山道は再び計画線へと接近する。右写真が山頂方。斜面の下辺りを登っていく予定だった。

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(↑撮影位置の参考。)

 

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【ク】奥の赤丸内の斜面を少し降りた辺りに、山頂側の一ノ峰駅が予定されていた。実現していれば社殿様式の駅舎が建っていただろうか。

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(↑撮影位置の参考。この場所から左方向へも、ケーブル駅へと通じる道が出来ていたかもしれない。)

 

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【ケ】現在の一ノ峯こと稲荷山頂上。お社と茶店がある以外は特にこれといった物は無いが、ケーブルカーが通じていればもう少し状況は変わっていたのだろうか。

 

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戦前の鉄道敷設ブームや電鉄ブームにおいては、日本各地に星の数ほどの計画線が立てられ、寺社仏閣への参詣を目的にしたケーブルカーも幾多も企てられた。

そのうち京都においては、叡山ケーブル比叡山延暦寺)や愛宕山鉄道(愛宕神社、戦中に廃止)、男山ケーブル石清水八幡宮)や鞍馬ケーブル(戦前は未成、戦後鞍馬寺の手で開業)など、実現したものも数多い。

いずれも有名な寺社仏閣への参詣の便を図ったもので、それなら京都屈指の神社である伏見稲荷大社や稲荷山にも~、となったとしても、十分不思議ではない。

 

しかし、世の中はそう単純ではないもので、神社というものが現代よりも神聖視されていた戦前のこと、大神社の敷地内となれば、鋼索線の敷設にはその壁があまりにも高かった。

 

だが、現代になって考えてみると、寺社仏閣へのケーブルカーの敷設は、必ずしもその寺社の雰囲気を俗っぽくしてしまう、というわけではないようだ。

鞍馬ケーブルに至っては、路線自体が鞍馬寺自らの手で敷かれたためか、境内もケーブル周辺もそこまで観光地然とした陳腐な雰囲気を漂わせている感じはしない。むしろ、寺本来の雰囲気が比較的保たれている印象がある。

男山ケーブルに関しても、現在は京阪電鉄が運営するやや大型規格の路線ではあるものの、特段観光地っぽい感じになっているかといえば、意外におとなしい雰囲気が保たれていたように記憶している。

このように、寺社にケーブルを敷設する場合であっても、やりようによっては、陳腐な観光地的雰囲気に変えること無く寺社本来の雰囲気を保つ、というケースも、決して有り得ない話ではないのである。

 

昔から登山手段が専ら徒歩のまま現在に至る稲荷山も、常に沢山の人が押し寄せる日本屈指の一大観光地となった。

これだけ多くの人が詰めかける有名名所でありながら徒歩しか移動手段がない、という現状を見てみると、神社の雰囲気を限りなく壊さずに、という条件付きで、何とかケーブルカーを実現できなかったものか、と思えなくもない。

現代のバリアフリーの観点から見ても、足腰の弱い人や身体障がい者の人ですら、稲荷山登山・観光を楽しめるようになっていただろうし、今日多くの外国人が訪れている以上、その人たちをよりスムーズに輸送できる上、かなり多くの利用者を見込めたであろう、とも思えてくる。

伏見稲荷大社が全国の稲荷神社の総本社である以上、神聖で厳かな領域であること自体は現在も変わらないので、その領域内に鉄道を敷設するとなれば、当然現代ですら物議を醸しそうだが、鞍馬寺のような形で実現出来た可能性もあるのでは…と、やはり少々惜しい気持ちにもなる。

 

★ 参考文献 ★

鉄道省文書「稲荷山鋼索鉄道敷設願却下ノ件」(大正15(1926)年、国立公文書館蔵)https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000000384873

(記事中の原資料は全てこの文書より引用。)

 

その他資料等若干